みんな同じ決定的な不安を抱えて生きている

少し前になるけれど、ツイッターのトレンドに、「私の死亡予定日時」というのが上がっていた。

そんなものをわかってどうするのかと思うけれど、おそらく生年月日など自分の情報を入力したら、あなたは後何年生きられますという結果をコンピュータが出してくれるのだろう。

これがトレンドに上がるのは、多くの人が自分の死亡予定日時にとても興味があるということだ。

みんななんとなく、日本人の平均寿命くらいの年齢まで生きると思っているけれど、もしかしたらそうではないかもしれないという不安があって、だったら、平均寿命まで自分は生きることができるかどうかを知りたい、と考えるのだと思う。

言い換えると、予定通りなのかそれよりも早いのか、早いのならどのくらい早いのか、が知りたいのだ。ゴールまでたどり着けるかどうかと言ってもいいかもしれない。

そしてもちろん、コンピュータが出した結果はあたらないと思っているからこそみんなやってみる。もし100%その結果通りになることがわかっていたら、ほとんどの人はやらないだろう。

つまり、自分の死亡予定日時などほんとうは誰も知りたくないのだ。お遊びで結果が正確ではないからやるのであって、ほんとうにその通りになるとわかっていればそんなことは知りたくない、となる。

誰もがそれを知らないことを前提にして、決定的な不安を抱えて人生を生きているのだ。

考えてみると、人はみんないつか死ぬのだから、「私の死亡予定日時」は必ず人生に一度やってくる。つまりそれはみんなあらかじめ指定されていると考えることもできる。それは、全ての人が自分の知らない所で余命宣告されているとも言える。

今それを知らないのは単に知らされていないだけで、誰にも確実にやってくる。もしかしたらそれは明日かもしれないし、70年後かもしれない。

でも、確実に全ての人にその日時がやってくることは間違いない。そのことを毎日意識して生きるのか、なんとなく遠い未来のこととして生きるのか。

それで今日の過ごし方も変わってくるだろう。

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