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先日、十代の留学生と話をしている時に、「自信」の話になった。その留学生は、「自信がない」という。何に対して自信がないかといえば、同年代の友達と比較して、自分は苦労をしていないことに対して自信がないという。そして、苦労をしていないから鍛えられていないし、まだまだ未熟だと思うし、社会に出てからの競争に勝てる気がしない、という。
十代でそれだけのことを考えてしっかりと伝えることができるだけで、自信を持ってもいいと思うが、本人はなかなか自信が持てないようだ。

自信には二通りあるように思う。一つは、今までやってきたことに対する自信。それは、時間軸に沿った経験に基づく自信とも言える。もう一つは、現時点で他人と比較した時に生まれる自信。それは、空間軸に沿った他人との差異に基づく自信と言ってもいいと思う。

一つ目の、経験に基づく自信は、やはり年齢を重ねないとなかなか持つことができない自信だろう。それも、ある程度しんどいことや人にはなかなかできないことをやり遂げてきた経験によって持つことができる。だから、十代の若い人が経験に基づく自信を持つことはなかなか難しいだろう。

二つ目の、他人との差異に基づく自信。これは、例えば、小学生なら足が速いとか、勉強ができるとか、体が大きいとかでもいいし、高校生なら成績が学年で十番以内とか、異性にもてるとか、人望が厚いとかでもいい。大人なら、何らかの特技や能力、趣味でもいい。現在のある一つのカテゴリーにおいて少し秀でていることで、自信を持つことができる。これは、経験による部分もあるだろうし、生まれつき持っている能力やキャラクターもあるだろう。

でも、この二つのどの自信も持てない人もいると思う。経験もないし、現時点で人よりも秀でた部分もない。他人からみればいろんないい部分を持っている人もいるのだが、本人がそれを認めない限り、自信にはならない。

今自信がなくても、これからの経験で将来的に自信を持つことはできるだろう。でも、自信につながる経験を積むということは、ある程度しんどいことや、人にはなかなかできない経験をするということでもあるし、そういう経験をするために大海に出航していくのにも、自信が必要だ。

そこで、やはり三番目の自信が必要になってくる。それは、「根拠のない自信」。人よりも秀でた部分も取り立ててないけれど、今までにしんどい経験もしていないけれど、とにかく、自分は何かができるという自信があるし、人には負けない自信がある、という種類の自信だ。この手の自信は非常に大きなリスクも含んでいるけれど、意外と大きなパワーを持っていて、その人の人生に大きなプラスになる可能性がある、なかなか侮れない自信だ。特に若い人にとっては人生を左右する力をも持つ種類の自信だと思う。

私がニュージーランドに移住してきて自分でビジネスを始めた時は、そのビジネスがうまく行かないなどということは、微塵も考えていなかった。今から考えると、かなり運に助けられた部分も大きいし、一歩間違っていれば、今頃どうなっていたかわからないくらいリスクの高い賭けだったと思う。でも当時は、始めたビジネスがうまく行くとかうまく行かないとか言うことさえも頭になかった。つまり、うまく行くことが100%前提だったし、100%うまく行くと信じきっていた。「うまく行くだろうか」などとは一度も考えたことがなかったし、将来に対する不安もなかった。自分は3年後は必ずニュージーランドで楽しく暮らしていると確信していた。それしか考えなかった。何故そう考えていたのか今では理解できないくらいだ。

まさに、根拠のない自信。今から考えれば目隠しをして綱渡りをしていたようなもので、一歩間違えば大怪我をしただろう。

でも、目隠しをして綱を渡り始めてしまったのならば、向こう岸まで渡り切れることを信じて進むしかない。途中で振り返ったり、自分はできないのではないかと疑ったりすればするほど、渡りきれない可能性が増えていく。綱を渡り切れるかどうかは、自分をどれだけ強く信じているかにかかっていると言ってもいい。その自信が経験に基づくものかどうか、あるいは根拠があるかどうかなどは関係ない。その瞬間、自分自身を信じることがどれほど強くできるかどうかがポイントだ。

根拠のない自信でもいい。とにかく自分はできると信じて進みだすこと。一度踏み出したら、振り返ったり疑ったりしないこと。疑いを挟めないほどのパワーを持った自信を持って進むこと。それは、時には、経験に沿った自信や他人との差異に基づく自信をも越える力を持つだろうと思う。