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先日、ワイアリキポリテクニックでコンピュータを教えている先生に、Data とInformation の違い、ということについて教えてもらった。
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ご存知の方も多いと思うが、その先生によれば、Data とInformation は違うものであるという。日本語に直してしまうと、どちらも「情報」という言葉で表現することが多いのかもしれない。Data とは、まだ加工されていない言わば生の状態のもので、例えば、現在のロトルアの人口とか、ある会社の今月の売り上げ金額とか、ある語学学校の国籍別在籍人数とか、そういう「情報」だ。Information とは、生のData をある一定の基準や視点を使って加工して、ある内容をわかりやすく提供するための「情報」で、例えば、過去30年間のロトルアの人口推移のグラフとか、ある会社のバランスシートとか、ニュージーランドの複数の語学学校の国籍別在籍人数の割合の一覧表などがそれに当てはまる。

私なりの理解でData とInformation を何かにたとえるなら、お米はData で、ご飯はInformation、反物がData で、着物はInformation、鉄板がData で、自動車がInformation、といった所だと思う。余計わかりにくいかもしれない。

Information は便利だ。ご飯や着物や自動車のように、すでに使える状態だからだ。Information を使って何かを判断したり、何かを考えたり、何かを調べたりする場合、すぐに使えて時間も節約できる。ただ、食べたご飯が口にあわないこともあるし、着た着物が自分に似合わないこともあるし、乗った自動車の運転が難しかったりすることもあるように、手に入れた情報が全て満足いくものであるかどうかは、わからない。そして、炊いたご飯を炊きなおすのが難しいように、すでにあるInformation を再加工するのも難しい。目の前にご飯が出てきたら、それを食べずに別のご飯を求めなおすのには、かなりのエネルギーと強さが必要だ。

Data は利便性には欠けるが、自分の使い勝手がいいInformation に加工できるという、可能性がある。お米が手に入れば、米の量や研ぎ方、水加減や炊き方で、同じお米から違うご飯が炊き上がる。どのようなご飯を炊くかは、自分である程度決めることができる。複数の語学学校の国籍別在籍人数のData があれば、学校を選択し、全校生徒数との日本人の割合を計算し、グラフ化して、比較することもできるし、過去10年間のデータがあれば、年が経つに従ってある国籍の増減というInformation も作成することができる。

そして何かを判断する場合にInformation を使うのなら、注意が必要だと思う。そこには、Data からInformation を作った人の基準や視点が入っている。一見必要十分なData から作成されたように見えるInformation でも、重要なData が抜けていたり、特定のData が強調されていたりすることもあるかもしれない。

今、インターネットも含めて、様々な「情報」が巷にあふれている。その情報がData なのかInformation なのかを分けて収集し、Information であるならば、作成した人の基準や視点がどの程度どの部分に含まれているのかを判断しなければならないだろう。そして、Data から自分でInformation を作成する場合には、十分なData を集め、明確な基準を持って、必要なInformation を作るためのゴールにできるだけ直線で進むような作り方をする必要があると思う。