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私は大学で教育学を専攻し、卒業後も教育関係の仕事に8年間就き、今でも留学の仕事に携わっている。大学にいた頃から教育に関してはいろいろと考えてきたし、いろいろな教育関係の情報にも触れてきた。今でも、教育というものに関してかなり強い興味がある。
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もうすぐ3歳になる娘がいる。日本語で意思疎通できるくらいにはしゃべれるようになってきたし、自己主張も激しくなってきた。何でも自分でやりたがるけれど、自分で出来ることはまだまだ少ない。自分でいろんなことをやろうとして、ほとんどうまくいかないし、うまくいったとしても、周りが汚れたり、片付かなかったり、結果だけオーライだったり、結果もオーライでなかったりする。

例えば、娘が座る食卓に、目の前に牛乳の入ったコップがあり、その右側にパンとバターが置いてある。まず、目の前にある牛乳を一口飲んで、次にパンにバターを塗ろうとすると、牛乳の入ったコップに左ひじが触れて、ひっくり返しそうになる。本人はすでにパンにバターをうまく塗ることに夢中になっている。

そのとき、私が思わずコップを脇にどけてひっくり返さないようにすると、娘は、私のその行為に全く気づかずにパンにバターを塗り続ける。食卓の上に牛乳がこぼれてしまうという事態は免れたわけだが、果たしてこれでいいのだろうか、とよく考える。

そこではあえて手を出さずに、娘にコップをひっくり返させてみてもいいのではないか、と思う。そして、食卓にこぼれてしまった牛乳の片付けも娘にさせて、牛乳を飲みたいと思ってももうなくなってしまったということも体で覚えさせてもいいのではないか、と思う。

これは、とても時間と根気が要ることだし、結局ひっくり返った牛乳の後片付けは私がやらなければならないかもしれない。でも、ここで牛乳を私が脇にどけてしまうと、娘は何かを学ぶチャンスを逃してしまうことになると思う。そして、私はいつまでもずっと娘の牛乳を脇にどけ続けることは出来ない。いつかもう少し大きくなってからも娘は必ず牛乳をひっくり返すだろう。そのとき、私が牛乳を脇にどけ続けていたことに気づいてくれればまだいいが、「こんなところに牛乳があったのか」とか、「今日はどうして誰も牛乳を脇にどけてくれないのだろう」などと考えるようになっていたら、それは、だめだ。

だから、なるべく娘には、自分の行為の結果をそのまま受け止めてもらうようにしようと思っている。そしてその結果からいろいろ考えて、何かを学んで欲しいと思っている。お菓子の袋を思いっきり開けて中身が飛び出すこともあるし、自分が床に置いた本で足を滑らせることもあるし、手を洗ったら服がびしゃびしゃにぬれてしまうこともある。お菓子の袋を開けるときに手を添えてやることも出来るし、床に置いてある本を片付けてやることも出来る。手を洗うときにぬれないように水量を調整してやることも出来る。でもあえてそれはやらないでおこうと思う。床に飛び散ってしまったお菓子から、滑らせた足から、濡れた服から、何かを感じ、何をどうすればいいのかを考えて、学んで欲しいと思う。

手を出さない、手を出さずに最後までじっと見守る、ということは、親である私にとっても非常に難しい。転ぶ前に手を差し伸べるほうがよっぽど楽だ。子どもを育てることで鍛えられ、試されているのは、親のほうなのかも知れない。

2008年のKickoff-Tのブログは、今日で終わりです。2009年も1月中旬からまた書いていこうと思っています。