おくりびと

先日、日本の友人に、「おくりびと」の映画のDVDをいただいた。早速観てみた。

「おくりびと」は今年のアカデミー賞の外国語映画賞を受賞したので、ご覧になった方も多いと思う。チェロ奏者としてオーケストラで仕事をしていた主人公が、楽団の解散をきっかけに、ふるさとに戻り、納棺夫の仕事につく。はじめは仕方なくやっていた仕事であり、友達などの仕事に対する非難もあったが、だんだんその仕事の魅力を見つけて、自信をもって仕事に臨むようになっていく。

観た後、なぜこれがアメリカの映画祭で評価されたのかわからなかった。納棺夫というアメリカではおそらく存在しないであろう仕事を持つ人が主人公だし、全篇を通して「死」が中心のテーマとなっている。ロードオブザリングがアカデミー賞を総なめにしてからわずか数年で、外国語映画賞とはいえ、おくりびとが高く評価されるというのは、どうも理解できなかった。

ただ、考えてみると、「死」というのは、国にかかわらず全ての人間にとっての普遍的な問題だ。人は必ず死ぬ。その避けられない「死」をどのように迎えるのか、という問題は、全ての人が考えるテーマだろう。その永遠の、全ての人間にとっての普遍的なテーマを、日本独特の納棺夫という仕事を通して見つめているのが、この映画なのだと思う。いわば、大きなテーマを小さな切り口からのぞいているという雰囲気なのだと思う。この映画を観た後、どの国の人たちも、自分自身が「死」をどのように迎えるのか、ということについて考えるのだろう。そして、「死」をどのように迎えるのかという問題は、今をどのように生きるのかという問題につながる。つまり、「おくりびと」は、観た人に、自分はどのように生きていけばいいのか、という問題を突きつける映画なのだと思う。

今、世界経済は停滞している。100年に一度の不況だという人もいるほどだ。そして、アメリカでは、変化を求めて選ばれた新しい黒人大統領が国を動かそうとしている。そういった、今までに経験したことのない環境の中で、人々は、自分はこれからどのように生きていけばいいのかということを、今まで以上に考えているのだと思う。

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