5W1H
5W1Hというのがある。
英語で書くと、
Who
What
When
Where
Why
How
の5Wと1Hだ。ニュージーランドでは、あまり5W1Hという表現はしないようで、私も日本にいたときにどこかで習ったと思う。
これは、文章を書く時や人に話をするとき、またビジネスなどにも応用されているらしい。この6つの質問に答える形で物事を進めていくと、必要なことを網羅しながら問題点を浮き彫りにできるということだ。
文章を書いたり講演をしたりしない人でも、無意識に「いつ?」とか「何を?」とか「何が?」とか「誰が?」とか問いながら確認して生活していることも多いだろう。「さて次は何をしようかな」とか「週末どこに行こうかな」とか「誰をさそおうかな」とか「どこに片付けようかな」とか、「どういうふうにやろうかな」とか、毎日何度か無意識に自分に問いかけている。
そして、何か大きな決断をするときにも、5W1Hを自分に問いかけることが多い。例えば、留学に行くことを考えたとき、「いつ行くのか」「どこに留学するのか」「何が目的なのか」「なぜ行くのか」「どのように準備し生活するのか」などを日常生活における問いかけよりも、幅広く、深く考える。
私の個人的な経験だけから考えると、何か大きな決断をするとき、年齢が若いときは、What を中心に自分に問うことが多いように思う。「何が欲しいのか」「自分は何がしたいのか」「何を目的とするのか」「何を基準にするのか」「何が好きなのか」など常に「何」について問い、「何」について答えを探すように思う。つまり、具体的な目の前のもの、具体的な将来のゴール、具体的な自分の気持ちなどを中心に、物事を判断し、決断をして選択をしている。そして「何」についての答えが自分自身で得られたら、他の4W1Hに関する答えは判断材料として使うことは少ないか、優先順位が低い。
だが、歳を重ねるに従って、もちろんWhat という問いは自分自身に問いかけるが、問いの中心はHow に移ってくるように思う。「自分が欲しいものをどのように手に入れるのか」「自分がしたいことをどのように実行するのか」「目的にどのように到達するのか」「基準をどのように認識してどのように使うのか」「好きなものにどのようにアプローチするのか」など、方法や手段について問い、答えを探す。つまり、具体的な目の前のものや将来のゴール、自分の気持ちを踏まえたうえで、それに自分はどのようにかかわっていくのかを中心に、物事を判断し、決断して選択している。
だから歳を重ねると、決断が慎重になり、大きな一歩を踏み出すことができにくくなるのではないだろうか。もちろん、歳をとるに従って、持っているものや守らなければならないことも増え、自分だけの判断で行動することが制限されていく。しかし、それは外的な要因だ。自分自身の内的な要因を考えたとき、What に重きを置いて問うのか、How に重きを置いて問うのかによって、得られる答えが変わるし、最終的な判断や選ぶ選択肢も変わってくるのだと思う。
What という問いの答えは比較的容易に見つかるだろう。そして、その答えが見つかった時点でほぼ大きな決断をくだすことができるのが、若いときの特権だとも言える。それに対して、How に対する答えは容易ではないし一つでもない。自分の中でも答えが定まらないことも多い。それだからこそ考えること自体が面白いし、考えて得た答えに基づいて決めた選択肢は、より確実なものであるだろう。
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