留学の醍醐味
先日、インドからの留学生と話をする機会があった。
彼女はワイアリキポリテクニックで2年間の予定でビジネスを専攻している。ある科目の授業中、「今から20分間くらいポリテクの周りを歩いて、課題に関連することを自分で見て調べてくるように」と先生に言われたそうだ。他のニュージーランド人の学生はすぐに外に出て、いろいろとメモを取っていた。でも、彼女は、なぜそれを授業中にしなければならないかがわからなかったという。
詳しい内容はわからないが、他のニュージーランド人の学生とインドからの留学生とでは、先生の指示に対して、疑問に思う部分が全く違うということが言えると思う。前提としているものが違うと言えるかもしれない。先生は学生がわかると思って指示を出す。しかし、前提としているものが違うと、学生によっては先生が何を求めているのかが理解できないことがある。
例えば、その彼女の場合でも、ニュージーランド人は、なぜそれを授業中にしなければならないかなどとは全く考えないが、彼女はその理由や目的を考える。ニュージーランド人にしてみれば、先生が外に出て調べなさいと言えば、それは授業に関連するエクセサイズだと思うのだろうし、先生もそのつもりなのだろう。でも、その彼女は、なぜエクセサイズを今する必要があるのかと思うのだろうし、あるいは、エクセサイズだということはわかっているのだけれど、なぜ今でなぜその課題なのか理由がわからない、ということなのかもしれない。
これは、学校だけではなくて、異文化の中に入るとよく起こることだ。言葉の意味は理解できるけれど、この状況、この場所、このタイミングを考えると、なぜその人がそんなことを言うのかが理解できない、ということがある。自分が持っている暗黙の了解や前提を覆される思いをする。一瞬「えっ」と思ってしまう。
私の説明が悪くて、読んでいる方にはよくわからないように思う。ごめんなさい。でも、日本からニュージーランドに留学に来た人の中には、わかっていただける方も少しはいるかもしれない。
周りの人と自分の持っている前提が違う。
暗黙の了解が理解してもらえない、あるいは理解できない。
言葉の意味はわかるけれど、言っている意味がわからない。
などということを経験した人も多いと思う。
これは、日本で単に英語を勉強しているだけではわからない経験だ。実際に異文化の中にいて初めてわかる。そこで自分の前提を理解してもらうのか、相手とネゴシエートするのか、あるいは、そこから離れるのか。いろんな方法があるが、それを考えるのもまた面白いと思う。これが、留学の醍醐味の一つだと思う。
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