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十代の頃、自分の親の世代の人たちが、「若いときにもっとしっかりと勉強しておけばよかった。」と言っていた。

それを聞いていた十代の頃は、なんとなく聞き流していたり、そんなこと私に言われても、と思ったり、とにかく、全く真剣には聞いていなかった。

でも、実際に自分がその頃の親の年齢になると、やっぱり「若いときにもっとしっかりと勉強しておけばよかった。」と思ってしまう。ものすごく思う。それは、今持っている自分の能力や知識やスキルの乏しさに、ショックを通り越して、何か悲しくなってしまうからだ。自分がやりたいと思うことが、自分の知識がないゆえにやることが難しかったり、今からスキルを身につけるのには時間がかかることに気がついたりして、自分自身に対して悲しくなる。

十代の頃に大人たちが、「若いときにもっとしっかりと勉強しておけばよかった。」と言うのを聞いていた時、頭の隅のほうで一瞬、「おそらく自分も同じくらいの年齢になったときには、同じようなことを言うのだろうな。」と考えていたと思う。でも、その頃は、自分が30歳や40歳になるなんて、どう考えても想像できなかった。そんなことを想像するよりも、友達と遊んだり、面白いテレビを観たりすることに一生懸命だった。十代の頃は十代の目線しか持ち合わせていなかったし、目の前のことで頭が一杯だった。

私は特に学生時代にほとんど勉強していなかったので、30代、40代になって、自分の知識や能力に、ある特定の領域が決定的に抜け落ちていたり、他の人が簡単にできることが全然できなかったりすることに、いまさらながら気がつくことが多い。今まで何とかごまかして生きてこられたけれど、どうしても今必要な知識や能力があって、知識や能力が欠けているゆえにどうしようもなくて、おろおろして、その前で立ちつくしてしまって、恥ずかしくて、情けなくて、でもできなくて、そして泣きそうになる。歳とともにつちかった経験があるだけに、それらを何とか回避することはできるけれど、知識と能力の欠落はそのまま存在したままだ。

「若いときにもっとしっかりと勉強しておけばよかった。」ということばは、若い人たちに対してではなくて、その人自身に向かって強烈に言っていたことばだったのだと、今わかる。