情報を集めて、判断して、行動する
普段生活していたり、仕事をしていたり、遊んでいたりしている時、基本的には、情報を集めて、判断して、行動する、という3つの段階を繰り返している。
.
例えば、今晩何を食べようかと考えたとき、どんな選択肢があるのか情報を集めて、その選択肢の中からいくつかを選んで、その選んだ選択肢の中の晩御飯を作ったり食べに行ったりする。今日の仕事を何時に終わるか決めるとき、やるべき仕事は何かを考え、どの仕事をどの順番でやるのかを判断し、仕事を片付けて、家に帰る。週末どこかに旅行に行こうと思ったとき、旅先の情報を集めて、行く先を決めて、準備を始める。
だから、普段の生活や仕事や遊びの中で、行動しようと思ったら、必ず判断をしなければならないし、判断をしようと思ったら、必ず情報を集めなければならない。
このブログでも何度か書いたが、最近、この情報収集の部分にどうも危うさを感じる。インターネットなどで最新の情報が無数に手に入る状況の中で、どの情報を自分の判断材料にすべきか、かなり迷う。そして、情報を収集した後でも、その情報の信憑性や的確さに自信が持てないことも多い。情報収集に自信が持てないと、その後の判断と行動も危ういものになる。
これは実はとても大切な部分にもかかわらず、人々は益々インターネットを活用し、その情報を使って判断し、行動している。このまま行けばある時、あれ、このやり方でよかったのだろうか、とか、実は判断材料はもっと他にあったのではないか、とか、ふと気がつくときが来るのではないかと思う。
コミュニケーションにおいて、送り手と受け手の間にはバリアがあり、行き来するメッセージにはバイアスがかかり、送り手は情報をエンコードし、受け手はエンコードされた情報をデコードする。また、環境もコミュニケーションに影響するし、送り手や受け手のPerception もコミュニケーションにおいては重要な役割をする。インターネットというコミュニケーションチャンネルの中で、これらのバリアやバイアスなどが、ほとんど意識されずにやり取りされているようにも思う。
ウエブサイトなどは、誰かが作ったサイトをサーバーにアップロードし、それを見る人がダウンロードすることで、情報を得ている。文字も写真も動画も基本的には同じだ。メールはもう少し直接的なコミュニケーションのような感じがするが、Face to Face のやり取りとは基本的に違う。最近流行りのツイッターなどは、ウエブサイトでは得られない、よりインタラクティブな情報交換の場を人々が求めている結果なのだろうとも思う。
だから、ウエブサイトを検索するとか、動画をダウンロードするとか、そういうものとは全く違うチャンネルでのコミュニケーションが、ツイッターを初めとして、これからもたくさん出てくるのではないかと思う。それが、情報収集の危うさを救うのか、また、さらに助長するのか、それはまだわからない。
キックオフNZのSNS