ロトルアでは、新聞は自ら求めて買いに行くものだ

インターネットがなかった時代、日本では多くの家庭が新聞を購読していた。日本の場合、新聞は毎朝、毎夕、新聞配達員が家のポストまで配達してくれた。私が小さい頃も家では新聞をとっていたし、結婚してからも毎日、朝夕刊、紙の新聞を読んでいた。

今考えると毎日毎日2回も配達される新聞の何を読んでいたのか、と思う。とても全ての記事を毎回読んでいたわけではなかった。社会人になった後は、一面と政治、経済、社会面くらいは目を通していたが、時には新聞に入っている広告のほうを丹念に読んでいたようにも思う。

今、日本では新聞社の経営が赤字になっているそうだ。広告収入をインターネットに取られ、購読者数も減るという、15年前には想像できなかった環境の変化が新聞社を襲っている。

私の住んでいるNZのロトルアでは、毎日新聞をとっている家庭は少数派だ。多くの家庭では新聞が毎朝ポストに配達されるということはない。もし新聞が読みたければ、デイリーやスーパーに買いに行く。また、配達される新聞があったとしても、日本のようにたくさんの広告が挟まっていることもない。

そう考えると、日本とロトルアでは、新聞(一般紙)に対する購読者の態度が違うように思う。日本では、新聞は待っていればたくさんの広告とともに家に届くものであり、ロトルアでは、自ら求めて買いに行くものだ。

昨日から日本経済新聞電子版が創刊された。有料のオンライン新聞だ。その価格と内容はこれから評価されていくのだろうが、広告収入と購読者数の減少という環境の変化に対して、日本の大手新聞社が紙媒体からオンラインに軸足を大きく移そうとしていることには、大きな意味があるのだろう。

新聞は待っていればたくさんの広告とともに家に届くものだ、という感覚の日本で、日経の試みが世間にどう受け入れられていくのか。その動向によっては、日本のマスメディアやインターネットの将来も大きく変わってくるかもしれない。

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