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一時期日本ではお笑いブームと言われていたようだが、今はどうなのだろう。テレビをつけると今でも、たくさんのお笑い芸人と呼ばれている人たちが、いろんなことをしゃべったりしているのだろうか。

「笑い」と一言で言うけれど、何故、どんなときに人は笑うのだろうか、と考えると、なかなか奥が深い。プロのお笑い芸人達は、きっと毎日毎日、人は何故笑うのか、ということを考え続けているのだろう。

例えば、道に落ちているバナナの皮を踏んで誰かが転ぶと、それを見ていた人は笑う。おそらく、日本でもニュージーランドでも同じだと思う。何故、誰かがバナナの皮を踏んで転ぶと、国や民族や文化の異なる人たちが同様に笑うのだろう。何が、人を「笑う」という行為に走らせるのだろう。

先日娘と一緒に、映画館にアニメの映画を観にいった。主人公が誰かに向けて大きな銃を発砲すると、館内で笑いが起きた。撃たれた人が真っ黒になって登場するとまた笑いが起きた。それを見ていて、いったいこれは何なのだろうと思った。アニメとはいえ、銃を発砲しているシーンだ。でも笑いが起きる。しかし、これが戦争のドキュメンタリーであれば、同じように銃を発砲するシーンでも笑いは起きないだろう。何故だろう。人は何に対して面白い、と感じているのだろう。

4歳の娘が、しりとりをしよう、と言った。じゃあ私からね、と娘が言って最初の言葉を、にんじん!と大きな声で言った。いきなり「ん」がついている。しりとりの最初の言葉が、にんじん。それにも思わず笑ってしまった。でも、娘はにんじん、と言っただけだ。例えば目の前に人参があって、これなんですか?と聞かれて、「にんじん!」と答えたときは、おそらく誰も笑わない。両方とも「にんじん」という言葉を発していることは全く同じだ。でも一方が笑いを呼んで、もう一方は笑いは起こらない。何故だろう。

笑いって、不思議だ。