騒いでいる子どもを注意しない親がいる時は
「電車の中で騒いでいる子どもを注意しない親が許せない」ということがネットで話題になっていた。子どもが騒ぐのはまあ仕方ないとして、それを黙ってみている親はダメだ、ということだろう。
確かにその通りだ。子どもが騒いだら、その親が近くにいれば厳しく注意するのが親のやるべきことだろう。
ただ、以前にもこのブログでも書いたけれど、ほんの少しだけ想像力を働かせてみてもいいのかもしれない。例えば、「その親はたまたまものすごく疲れていたのだろう」とか「いつもはきちんと注意をしているけれど、その日は子どもにとって特別な日で、少し騒ぐことが許されていたのかもしれない」とか「親のように見えて実は赤の他人だったのだ」とかだ。
親になってみると、子どもを育てることはいかに大変かを毎日毎日実感する。子どもは親の言うことを聞かないのがあたりまえだ。どんなことにも「はい、わかりました」と親の言うことを聞く子どもがもしいたら、何かおかしい、と疑ってもいいくらいだ。
ことあるごとに親は子どもに何かしら注意を与えたり、逆に褒めたりして、何とか一人前の人間に育てようとしている。だから、電車の中で騒いでいる子どもを注意することが周囲から求められることはわかっていても、ずーっと注意し続けることに疲れてしまって、できないこともあるだろう。
確かに、電車で騒いでいる子どもを注意しなければならないのは、まずは親だろう。でも、ほんのたまには何かの事情でできなかったり、やらなかったりすることもあるかもしれない。だったらそんな時は、周囲の大人が注意をしてやればいいのではないか、と思う。
「そんなことをすれば、逆に親からにらまれる」とか「自分が注意するくらいなら、黙って見ている」という人もいるだろう。でも、「子どもは国の宝だから、社会全体で育てていく」という視点に立てば、公共の場でのマナーや態度が間違っていればそれを注意してやるのも、社会の、つまり周囲の大人がやるべきことなのかもしれない。
じゃあお前やってみろ、といわれると、正直、実際はかなり難しいと思う。仕事柄、留学生達には注意をすることも多いけれど、見ず知らずの子どもにいきなり注意をするのは勇気がいる。
確かに子どもを注意するのはまずは親の仕事だけれど、社会全体で子どもを育てていくことも大切だ。だから、大人として、まずは自分の子どもの友達とか、近所の子どもなど、知っている子どもに対して、社会の一員としてマナーや態度を教えていくところから初めてみるのもいいかもしれない。
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