感情のフックに釣られる

以前、日本のある地方の首長に立候補して落選した方が、「日本の有権者に対しては、理屈で説明をするのではなく、短い言葉で感情に直接訴えかけることが大切だ」という意味のことを言っていた。

その候補者は、選挙の争点になっていることを、数値を示してきちんと理屈で説明し、その地方の人達には自分の主張する方法がより利益をもたらすことを説いて回ったそうだ。一方、対立候補者は、簡単な言葉で有権者の感情に訴えかけ、その結果対立候補がはるかに多くの得票を勝ち取ったそうだ。

つまり、少なくともその時のその地方の有権者は、頭で「理解する」理屈よりも、心に響くキャッチーな言葉に何かを「感じた」候補者を選ぶ傾向があった、ということだろう。

そして、その頃の時代も今もおそらく変わりなく、頭で理解する「理屈」ではなく、心で感じる「感情」でいろんなことを判断をする人々も多いのではないだろうか。それは例えば、何かのビジネスで売り上げを伸ばすときには、消費者の「感情のフック」に引っかかるようなプロモーションが必要だ、とも言われる所以だ。特に生活必需品ではない商品の場合は、感情に訴えるプロモーションが必須だろう。

だから、誰かが自分の感情のフックを釣ろうとしている、ということを人々が理解して何かを選択するのであれば、それはそれでかまわないと思う。

ただ、ここはきちんと理屈や言葉を理解して判断する必要があるだろう、という部分でさえも「感情のフック」につられるのは、大きな間違いにつながる恐れもある。言い換えれば、有権者、消費者を含む人々の感情のフックを釣り上げようとしている人達が世の中にはたくさんいる、ということを理解していないと、簡単に釣られてしまう。

日本でも選挙権年齢が18歳まで引き下げられようとしている。「感情のフックに釣られる」という問題を、18歳になったらよく考えて頭で理解する必要が出てくるだろう。

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