理屈とセンス

私に料理を教えてくれた人は、「料理は科学だ」と言っていた。その教え方が私にはとてもわかりやすかったし、料理は科学だ、と思って取り組むと上達も早いのではないか、と思う。

料理は科学だ。なぜなら料理とは、食材に力や熱や他の成分を加えて変化させることだからだ。

例えば、芋を煮るときに、切ったどの芋にも同じように味をしみこませようとするのなら、芋は同じ質量に切り分けなければならない。同じ質量に切り分けようと思ったら、底面積と高さの積を同じに切り分けなければならない。だから先のほうが細くなっている芋は、包丁を斜めに入れて断面積を大きく取る。

例えば、調味料は「さしすせそ」の順番に加える。もともとは体験からきているのだろうが、塩は浸透圧が高いから食材から水分を出してしまうので初期に入れる、など、化学として説明ができる。

例えば、魚をさばくには当然、どこに骨があって、どこにえらや内臓があって、うろこはどんな方向にどのように生えているのか、などの生物の知識が必要だ。

だから料理をするときには、科学の知識を総動員している、つまり理屈で考えているということだ。かなり論理的な思考が必要だし、それを実践する技術も持っていなければならない。

でもだからといって、科学が得意な人がみんな料理がうまい、とは限らない。なぜか。それは、料理には「センス」が必要だからだ。

例えば、「お塩少々を入れます」と教えてもらったとき、「少々って、3グラムですか、5グラムですか、それとも10グラムですか」と聞く人は、全く料理のセンスがないと言えるだろう。「少々」は「少々」であって、何グラムなどと説明できるものではない。「少々」と他人に聞いて次に自分でやってみる時にその「少々」を一回できっちりとできる、というのが「センス」だ。もちろん、お塩少々を入れている人の量をじっと見ている必要もあるが、同じように見ていても自分でやったときにできる人とできない人がいる。同じ理屈を頭にいれ、同じように他人がやっているのを見ても、自分でやったときにできる人とそうでない人がいるのだ。そこを分けるのが、「センス」だと思う。

例えば、料理において盛り付けなどは、センスが最も現れる部分だろう。盛り付けにも一応は理論めいたものもあって、盛り方七法(杉盛り、重ね盛り、俵盛り、平盛り、混ぜ盛り、寄せ盛り、散らし盛り)や、真、行、草の盛り方、あるいは、丸いさらには四角いものを、四角いさらには丸いものを、などの基本を押さえれば、それなりにおいしそうに盛り付けることができる。でも、実際にその理屈どおりにやってみても、どうもうまく行かないことがある。それは、「センス」が足りないからだと思う。色も形も味のうち、と言うが、センスのある料理人の盛り付けは、見ただけでおいしく感じるから不思議だ。

この「センス」。料理だけではなく、他のことにも言えるだろう。パソコンを初めて使うときでも、どんどん触って自分で覚えていく人と、何回も同じことを他人に質問する人がいる。それも「センス」なのだと思う。スポーツでも、理屈で説明したことをスッとできる人とそうでない人がいる。車の運転もそうだし、おそらく手芸なんかもそうだろうと思う。

料理は科学だ。理屈が必要だ。でも、理屈だけではうまく行かない。そこに「センス」が加わって初めて、おいしい料理ができるのだ。

じゃあ「センス」ってどうやったら身につくのだろうか。それはまた次回考えてみたいと思う。

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