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少し前まで私は、「その選択は正しい選択だと思う」とか、「その状況でその判断をしたのは正解だったろう」などという言い方を、他人に対しても自分に対してもよくしていた。でも、最近は、「正解」とか「正しい」という言葉をできるだけ使わないようにしている。

確かに、他人の話でも自分についてでも、後になって、そのときの選択や判断が正しかった、とか、間違っていたと思うことはある。しかし、よく考えてみると、何が正しくて何が間違っているかなどは、選択や判断の時点では誰にもわからないことも多いし、そのときは正しいと思っていたけれど後になってそうでもなかった、ということもある。また、ある選択が正しいと言ってしまえば、他の選択肢はみんな間違っている、ということにもなりかねない。

そもそも、普段の生活でもそうだし、人生の一大事のときでもそうだけれど、正しいとか間違っているとかいう基準で何かを選んだり、何かを判断したりすることは、あまりない。どちらかといえば、好きとか嫌いとか、希望するとかしないとか、直感とか、条件とか、そういった様々な要素を複合して選択や判断をする。正しいとか間違っているとかいう基準は、あくまでも結果の、それもたくさんある結果の基準の一つであって、正しいか間違っているかを基準に選択や判断をするものでもないだろうし、正しいか間違っているかという基準が結果の全てでもない。

少し前まで私が、正しいとか正解とかいう言葉を多用していたのは、おそらく、無意識に、「ものごとはほとんど正しいか間違っているかという基準で判断できる」と考えていたからだろうと思う。そして、正しい選択や正しい判断を自ら求めたり、探したりしていた。もっと言えば、「正しい」や「正解」という言葉で他人や自分の選択や判断を評価することで、安心していたのかもしれない。

でも、世の中、正しいか間違っているかという基準を当てはめられないことが、実はほとんどだ。だから、何かを選択したり、判断したりするときに、「何が正しいのか」とか「どのように判断することが正解なのか」などと考えると混乱する。選択や判断をするときには、正しいか正解かなどという基準は持ち込まずに、もっと他の複数の基準を用いるのがいいと思う。

何が正解かなど、ほんとうは誰にもわからないのだから。