「Needs」と「Wants」
ニュージーランドで暮らしていると、日本にいた時よりあまり「もの」が欲しくなくなってくる。日本で暮らしていた時は、何か新しい「もの」が発売されると、とりあえず見にいったりして情報を集め、情報を集めているうちに、それを買った、とか、すでに使っている、とかいう人が周りに現れて、自分も欲しくなって、買ってしまう、ということがよくあった。
マーケティングの視点からすると、
消費者には「Needs」と「Wants」があるそうだ。Needsは、衣食住など生きていくのに必要な欲求で、限られており、ほとんどの人に共通の欲求だ。それに対してWants は、そのNeeds を満足させようとする欲求で、個人的で際限が無い。例えば、お腹がすいた、という欲求はNeeds で、誰もが感じるものだが、お腹がすいた時に、寿司が食べたいと思うか、ポテトチップスが食べたいと思うかは、人によって違う。それがWants だ。マーケティングは、このWants を刺激して、消費者に購買意欲をわかせる必要がある。
お腹がすいた人に寿司を売るためには、寿司が食べたいというWants を刺激して寿司屋に足を運ばせる必要があるし、ポテトチップを売るためには、ポテトチップが食べたいという人に、「○○会社のポテトチップス」を手にとってもらう必要がある。
1960年代くらいまでは、Needs に基づいたWants を人々は求めていたが、ここ40年くらいは、Needs に基づかないWants が増えてきたように思う。例えば、携帯電話やゲーム機、ブランド物やアルコールなどもそうかもしれない。
携帯電話は、日本では小学生でも持っているのがあたりまえになっていると聞く。契約台数も1億台以上だそうだ。
契約台数1億台といえば、全員持っている計算だ。そこにさらに携帯電話を売ろうとすると、人々の今持っているWants を刺激するだけでは到底無理だ。だから、もともとなかった消費者のWants を新たに作り出す必要がある。携帯電話でテレビが見られる機能を、それが作られる前にいったいどれだけの人がWants していただろうか。もともとそんな機能を求めていなかったけれど、目の前に並べられて、宣伝されて、周りの友達が持ち始めると、何故か欲しくなって買ってしまう。もともとテレビが見られる携帯電話など想像もしていなかった人が、今ではそれを持っている。
最近、ニュージーランドに高校留学に来ている日本人留学生と携帯電話について話をする機会があった。彼が言うには、「12月に日本に一時帰国したとき、友達はみんな携帯電話を持っていた。僕は持っていないので、待ち合わせをする時など確かに不便だった。」「でも、別に欲しいとは思わなかった。ニュージーランドに戻ってきたら、持っていない人も多いし、全く必要ない。」と言い切った。
携帯電話が欲しい、テレビが見られるものが欲しい、というのは、結局、消費者が今まで持っていなかったWants を、それを売る人々に意図的に作られて、そして、購買意欲を刺激されているということだと思う。
ニュージーランドと日本を比べると、消費者が今まで持っていなかったWants をそれを売る人々に意図的に作られる、という環境が大きく違う。ニュージーランドでどんどん新製品が店頭に並ぶことは日本よりはるかに少ないし、テレビなどで新しい商品が次から次へと宣伝されるかと言えば、そんなことはない。もともと財布の紐がかたい国民性もあると思うし、宣伝の対費用効果が薄いのも理由の一つだろう。また、お金を使わなくても楽しめることもたくさんある。外からの購買意欲を刺激する力も少ないし、もともと「もの」を買うことに対して慎重な国民性もあり、ニュージーランドでは「もの」を欲しいと思わない人が日本より多いのだと思う。その中で暮らしていると、また、同じように、「もの」が欲しくなくなってくる。
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