クラフトマーケット
週末にニュージーランド人の友達二人が遊びに来た。
日曜日、ロトルアでは2週間に1回程度、レイクフロントでクラフトマーケットが開催される。木彫り製品、編み物、古いレコード、植物、かばん、ガーデニング用品、本など、あらゆるものが売られている。
友達と一緒にクラフトマーケットに出かけた。
ある店の前でふと一人の友達が足を止めた。真剣に商品を手にとって眺めている。彼らは今度6週間ヨーロッパ旅行に行く。旅行に行くときに持っていく小さなかばんを探しているらしい。かばんを眺めるまなざしは真剣だ。裏、表、ポケット、重さ、紐の長さなど、丹念にチェックしている。だが、気に入らなかったのか、歩き出し、ウインドウショッピングを楽しみだした。そして、1時間程他の店を眺めながら歩いた後、また同じかばんの店に立ち止まり、同じかばんを手に取った。今度は、さっきよりもさらに真剣だ。
にこにこしながら私のほうに戻ってきた手には、黒い小さなかばんが握られていた。「10ドルでいいかばんがあった。携帯電話用のポケットは必要ないのでどうしようかと迷ったが、何か他のものを入れることにするよ。」と、とてもうれしそうだ。
この友人は、大きな家に住んでいる。家具も高級なものを使っているし、ヨーロッパ旅行にもお金をかけている。いわゆるソーシャルクラスで言えば、明らかにアッパークラスに属する人だ。その人が、旅行に持っていくかばんをクラフトマーケットで10ドルで買う。しかもじっくりと時間をかけて考えて買う。そしてとてもハッピーだ。
お金には2つのポイントがある。一つはどう稼ぐか、そしてもう一つはどう使うかだ。どちらのポイントから眺めてみても、ニュージーランドと日本では少し違うように感じる。特に、どう使うかというポイントは違うように思う。お金を使って何を得るのか。ニュージーランド人の場合、お金と交換に得る「もの」そのものに対してだけ価値を認める人が多いように感じる。例えば、有名ブランドのかばんの、「ブランド」という価値をかばんの価値にプラスしてお金を余分に支払うよりも、かばんそのものの価値にだけお金を払うことが多い。10ドルのかばんが有名ブランドであるというだけで50ドルになっても、興味をあまり示さない。言い換えれば、ブランドという価値に40ドルを余分に支払うことをしない。かばんそのものの価値、何でできているか、機能は、色は、丈夫かどうか、などが10ドルの価値があると判断すれば10ドル払う。そしてそれで満足する。だからこそ、自分の目で見て、手にとって、時間をかけて選んで、自分の判断で買うのだろう。
キックオフNZのSNS