文句を言うなと言わないで
文句を言うな!という人がいる。まさに、おっしゃるとおりだ。
私も子どもの頃はよく、親や先生にしかられた。
「えーっ、昨日も今日も晩ご飯カレー?」
「文句を言うな!食べられるだけましだと思え!」
とか
「先生、教室から音楽室まで歩いてくるの、遠ーい。」
「文句を言うな!何が遠いだ!」
などという会話がよくあった。
確かに親にしてみれば、昨日は「わーい、カレーだ、カレーだ!カレー大好き!」と喜んで食べていたのに、一晩寝かせてよりいっそうおいしくなったカレーを今日出したら、「えーっ、またカレー?」と言われたら腹も立つだろう。また、音楽の先生にしてみても、「音楽室は必ずここに作ってください」と校舎の設計段階からかかわっていたわけでもないのに、教室の場所について文句を言われてもかなわないだろう。その気持ちはよくわかる。
でも私は、自分が若い頃よく文句を言っていたせいもあるが、文句を言う人の気持ちもわかる。だから、まあ私のように、「今日もカレー?」とか「音楽室遠ーい」などくだらない文句はともかくとして、文句を言っている人に対して「文句を言うな!」と一刀両断に切り捨ててしまうこともないだろう、という気もする。
文句を言う、というのは、自分の理想と現実の間にギャップがある、ということだ。自分が期待していた通りに、物事が進んでいない、ということだ。でも、理想とかけ離れている現実や、期待はずれの状況を受け入れざるを得ない、と思うから文句が出る。文句を言うときには、意識しているか無意識かはともかくとして、一旦現実を受け入れる覚悟をしているのだと思う。文句はいわば、理想や期待と、現実とのギャップを埋めようとする道具なのだ。
でも、文句を言うだけでは、実際のギャップは埋まらない。文句を言うことで埋まるのは、自分の中の空洞だ。つまり文句を言うことで、少しは気分がすっきりしたり、ざわついていた気持ちが穏やかになったりする。外の現実はまったく変わらないけれど、自分の中の気持ちは少し変化する。逆に言えば、文句も言わずに黙って現実の中に身をおいていると、自分の中の空洞はぽっかりと空いたままで、気分もまったく優れないだろうと思う。
だから文句は言ってもいいと思うし、場合によっては言うべきだとも思う。でも、いつでもどこでも誰にでも文句を言うのはいただけない。文句を言うのは、時間と場所と人を選ばなければならない。それらを選ばずに言う文句は、より一層自身の理想と現実のギャップを大きくすることになるだろう。でも、時間と場所と人さえ選べば、自分の中の空洞を埋めるために、どんどん文句を言ったらいいと思う。
そして、文句を言って少しすっきりしたら、今度は、実際に、理想や期待と、現実とのギャップをどのように埋めればいいのか、を具体的な行動として考えるべきだ。文句を言う前の気分が優れない状態では、冷静に判断できなかったことでも、文句を言った後なら、少しは前向きに建設的に、そして具体的にいい方法を考えられるかもしれない。
だから、「文句を言うな!」と一刀両断に切り捨ててしまうこと対しては、「文句を言うなと言わないで」と私は言いたい。確かに文句を言うことだけでは現実はまったく変わらない。でも、適切な時に、適切な場所で、適切な人を相手に文句を言えば、気持ちが少し変化して、前向きに建設的に、そして具体的にいい方法を考えられるかもしれない。そして、その方法を実行に移すことで、理想や期待と、現実とのギャップを埋めることができる。
そして今、私は、二日目のカレーはとてもおいしいことを知っている。
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