便利なカーナビ
車を運転するときにカーナビを使うことは、日本では一般的になっている。ニュージーランドでも、レンタカーを借りると、ナビゲーションのレンタルがオプションで選べることも増えてきた。
ロトルアやタウランガなどの比較的小さな町や、町と町との間では、初めて訪れた人でもカーナビがなくても何とか運転ができるけれど、オークランドやクライストチャーチ、ウエリントンなどでは、カーナビがあったらとても便利だ。
ただ、以前のように紙の地図を使っていた時よりも、カーナビを使うようになってから、道を覚えなくなったと思う。紙の地図とカーナビでは何が違うのだろうか。
音声で道順を知らせてくれたり、地図上に現在地が表示されたり、走行するべき道があらかじめ示されたりするカーナビ。とても便利だけれど、紙の地図を使うのとの決定的な違いはおそらく、目標地点までの風景を頭に入れる必要がない、ということだと思う。
途中で道を間違っても修正してくれるし、目的地に着くまで案内をしてくれる上に、現在地まで教えてくれるのだから、途中の風景はドライバーにはあまり関係がない。紙の地図を使う場合、今自分がどこにいるのか、目的地まではどう行けばいいのかを、常に自分自身で確認しながら進む必要がある。だから、カーナビが普及する前は、安全な道ばたに車を停めて地図を見ている人をたまに見かけたし、ガソリンスタンドや店で地図を広げて現在地や目的地を聞いている人もいた。
そう考えると、途中の風景を覚えることが、目的地までの道を覚えることだ。カーナビを使えばほぼ確実に目的地まで誘導してくれるけれど、途中の道は覚えない。つまり、途中の風景を見ていない。だから、同じところに同じ道を通って行く時でも、カーナビを使わなければ到達できない。
とても便利なカーナビだけれど、本当にそれでいいのか、とたまに感じる。目的地まで行ければそれでいいのか。途中の風景は必要ないのか。もう一度行く時に同じ道を通っても全く知らない所のように覚えていないのは、何かが必要なものを持ち忘れているのではないのか。
簡単で便利なカーナビ。でもそれを使うと道を覚えられない。安心して任せっぱなしで、周囲を見ることをしない。それでいいのだろうか。
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