鹿の心臓

高校留学生に対しては、少なくとも2週間に一度程度は、電話、あるいは直接会って話をすることにしている。そして、学校の様子、ステイ先での出来事、英語力、友達、課外活動、そして将来の進路などについていろいろと話をする。

昨日もある高校留学生と話をした。彼は今年の2月から3年間の予定でロトルアの高校に留学している。学校の授業の様子を聞いた。

「ニュージーランドの高校の授業では、みんなすごくよく先生に質問をするんです。おそらく質問が全く出ない授業は今までにほとんど無かったと思います。」と彼はやや興奮気味に話してくれた。「そして、先生が質問をしたら、必ず誰かが指名されなくても答えるし、その答えに対して他の生徒がどんどん意見を言ったりもするんです。」とも言っていた。

おそらくそこが日本とニュージーランドの授業の最も違うところだと思う。日本では、先生に当てられない生徒が授業中に発言をすることさえも禁じられているか、うかつに発言できない雰囲気がある。まして先生が授業中にしゃべっている最中に質問をする光景など、なかなか見られない。

でもニュージーランドの高校ではそれが当たり前だ。そして先生もそれに対して丁寧に答えるし、もしその場で答えられなければ、後できちんとフォローする。先生の立場からすると、授業中に生徒の一人から質問が出るということは、同じことを疑問に思っている生徒がきっと他にもいるだろう、ということだ。だからその一人の生徒の質問にみんなの前で答えることは、質問をした一人の生徒だけではなく、教室にいる全ての生徒にとってプラスになる、という考え方だ。

だから逆に言うと、先生が「質問はありませんか」とみんなに聞いて質問が出なければみんな理解している、と解釈される。日本からの留学生などは、わからないことがあっても恥ずかしさが先にたってみんなの前ではなかなか質問ができない人も多い。でも、自分で発言しなければ理解していると思われる。それは、学校の授業だけではなくてニュージーランドの社会全体で共通した考え方だ。自分で主張して行かないと、周りも理解してくれない。そういう社会だ。

彼はまた、こんなことを話てくれた。

「先週の生物の授業では、先生がどこからか鹿の心臓をもらってきて、それを解剖用に使って授業をした。その鹿は昨日まで牧場を走り回っていたらしいが、生徒の中には顔を背けるひともいた。僕は平気だったので最後までちゃんと見ていたけれど、すごく興味深くて面白かった。でも、日本では絶対に鹿の心臓を使って生物の授業をやることは無いでしょうね。」

これもニュージーランドならではの授業なのかもしれない。

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