この生活の中にいる自分は一体何?

先日、オークランドに住むある日本人留学生と話をした時に、その留学生が「自分は、何故ここでこんなことをしているのだろうとふと思うことがある。」と言った。

以前、このブログの「留学という日常をドラマに変える」という記事でも少し触れたが、日本でパターン化した日常を送っていて、その日常を変えるために、あるいは、その日常から脱却するために、留学をする。そして、新しい生活が新しい場所で始まり、今までの日常とは全く違う非日常の中に身を置くことになる。

でも、しばらく時間が経てば、その非日常も、パターン化された生活の中で日常となっていく。留学という日常の中で日本での日常を忘れていって、留学生活が「今現在の自分の生活」になって、日本での生活が非日常化してくる。

でも、そんな時、ふと日本での日常を思い出して、「あれっ、今のこの留学生活の日常は日常ではなく、本当の私の日常は日本にあるのではないか。」と留学生活の非日常性を感じることがある。そんな時、「自分は、何故ここでこんなことをしているのだろうとふと思う」のではないだろうか。

私もニュージーランドで暮らし始めて2~3年目の頃は、よく同じような感覚を抱いた。海外の生活になじみ、その生活に溶け込んで、「生活に慣れてきた」という時期を越えて少したった頃に、「あれっ、」と思う。そんな感覚は目の前に忙しさにすぐに忘れてしまうのだけれど、あるとき突然ふと「あれっ、この生活の中にいる自分は一体何?」と思う。

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