3.11を境に日本が大きく変わった
以前にもこのブログで少し触れたけれど、東日本大地震が起こった3.11より前とそれ以降とでは、日本は大きく変わるだろうし、変わらざるを得ないだろう。そして、日本人のみならず、日本とかかわる全ての人が、今までの価値観や考え方ややり方を大きく変えていかなければならないだろうと思う。だから、これからの日本を生きていく若い人たちも、当然のことながら変わらざるを得ないし、今までの価値観や考え方ややり方をこれからは大きく変えていかなければならないことを、自覚しなければならない。
具体的に言えば、これからの日本の若い人たちは、自分自身で能動的に情報を収集して判断して行動することが、3.11以前よりもさらに求められるようになってくると思う。インターネットが普及してたくさんの情報を比較的簡単に入手できるようになっている21世紀ではすでに、自分で判断して行動することが求められてきているのだが、3.11以降はさらにそれが顕著になるだろう。なぜなら、3.11以降は、今までの価値観が変わるだろうし、常識と言われてきたことにも変化が起こるだろうからだ。言い方を変えれば、今まで信じてきたものや人などが全面的には信用できなくなり、それらが通用しなくなる社会がやってくるだろう。
この人が言っているから大丈夫だとか、ある組織や団体が発表しているから全て信用できるとかいう態度では、自分の人生を生きていくことが難しくなるだろう。また、上の世代の価値観や考え方ややり方をそのまま引き継いでも、これからの社会ではうまく行かないことも増えてくるだろう。
そういう大きな変化が待ち受けている日本の社会で生きていくためには、何度かこのブログでも書いたように、まずは、正確で最新の情報を入手することが必要だ。そしてそのときに、何が正確で最新の情報なのかを、個人個人が自分でまず判断することが必要になってくる。さらに言えば、それを自分で判断するためには、やはり幅広い知識と深い思慮が必要だ。つまり、学校で勉強する目的は、いわゆるいい大学に入って、一流といわれる大きな会社に入って、安定した生活を送るためでは全くなくて、何が正確で最新の情報であるのかを自分自身で判断するための、幅広い知識と深い思慮を見につけるために勉強する、ということになってくるだろう。それこそが、違った意味で安定した生活を送るために必要になってくる。
その上、これからの時代、正確で最新の情報は、日本語で提供されているとは限らない。英語を初めとしていろんな言語での情報に触れる機会も増えるだろう。だから、情報を得るためには日本語以外の言語にも通じている必要がある。
情報を入手した後は、それらを使って自分自身で判断して行動できることが必要だ。そしてそのためには、専門といわれる自分の分野の知識だけではなく、コンテンポラリーな幅広い知識を使わなければならなくなるだろう。私はその分野は全くわかりません、というのでは、いくら正確で最新の情報が手元にあっても、正しい判断を下すことは難しい。
また、情報と知識を持っているだけではなく、それらを使って自分で考えて判断を下すという態度を身につける必要がある。そういう態度は一朝一夕に身につくものではない。今いる部屋を出て、行動して、いろいろな経験をし、多種多様な人々と出会い、様々なことを一生懸命考えるということを通して初めて、身につけることができるのだ。つまり、情報や知識を使って判断を下すためには、経験が必要なのだ。
そして、判断を下した後に、実際に行動することが必要だ。いくら正確で最新の情報を集めて知識や経験を総動員して判断しても、行動しなければほとんど意味がない。だが、自分で下した判断に従って行動することは、意外と難しい。なぜなら、情報収集から判断までは何とか頭の中で理屈でコントロールできるが、行動に移すときには感情がかなり入ってくるからだ。それは、恐怖心や不安であったり、過度の自信や感情の高揚であったりする。でも、判断を下したならば行動しなければならない。だからそこでは、自分の感情をコントロールするということが求められる。
将来、3.11を境に日本が大きく変わったことを実感するときが来るだろうし、3.11の前と後で、世代が大きく変わったことを実感するときが来るだろう。そして未来の日本は、3.11後の世代に大きくかかっているのだ。
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