ベストを尽くす
ベストを尽くす、と、最善を尽くす。今まで自分の中で同じように2つのフレーズを使ってきたけれど、最近、この2つを使い分けようと思っている。
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11年前、私がニュージーランドに移住してきたときは、まだインターネットも普及しておらず、情報も乏しく、右も左もわからない状態だったけれど、ともかく、ベストを尽くそうと思っていた。ベストを尽くすとは、自分の持っているエネルギーを、体力も、知力も、気力も全て含めて、限界まで使うことだと考えていた。そして、最初の数年間はそれをやった。ひょっとしたら、限界までやって、さらにそこからもう少しエネルギーを使ったかも知れない。
しんどかったし、それでもうまくいかないこともたくさんあったけれど、自分では満足だった。ベストを尽くそうと思ってニュージーランドにやってきて、その通りベストを尽くせたからだ。しんどかったけれど、つらいと思ったことはない。今振り返ると、楽しかったとさえ言える。
でも、あるときから、ベストを尽くすって、ちょっと違うぞ、と感じ始めた。このままずっと今まで通りベストを尽くしていいのだろうか、と考え始めた。
そして、ベストを尽くすと言ってそれまでやったきたことは、自分の持っているエネルギーを、体力も、知力も、気力も全て含めて、限界まで使うことだったことを、改めて感じた。言い換えれば、「量的」に最大の力を使ってきた、と言うことだった。あるときは睡眠時間を削り、あるときは体力の限界を感じ、あるときは持てる能力を超えることに挑戦してきた。それはそれですごくよかったのだけれど、もう少し、今度は、「質的」にベストなやり方を考える時期なのではないかと、ふと、感じた。
質的にベストなやり方と言うのは、言葉で説明するのは難しいけれど、あえて表現するとすれば、持てるエネルギーをがむしゃらにフルに使っていろんなことに挑戦することではなく、どこにどのようにエネルギーや時間を使うのかを自分でよく考えて、しかもうまくバランスを取ってコントロールして、対象の一つ一つを出来るだけ充実したレベルまで持っていくことだ、と言えるかもしれない。そしてこのように、自分の持てるエネルギーを、質的に充実した結果を生み出すために、自分でバランスを取ってコントロールすることが、最善を尽くす、ということなのだと思う。最善を尽くすときには、必ずしも全力を投入する必要はない。8割とか7割の力を使って、質的に満足できる結果を生み出す。
「ベストを尽くす」より、「最善を尽くす」ほうが、難しい。なぜなら、ベストを尽くすときは、一旦目標を決めたらそれに向かって持てる力を出来るだけ注ぎ込めばいいけれど、最善を尽くすときは、常に、自分の持てる力をどこにどのように注げばいいのかを考えて、判断して、実行しなければならないからだ。
以前このブログの「機会費用-Opportunity Cost」でも少し書いたが、1日24時間の内、あることに時間を1時間使う時は、他のことを1時間分犠牲にしている。そしてその犠牲にされた1時間はコストである。ベストを尽くすとは、あることに使う時間やエネルギーなどにのみ注目する方法で、最善を尽くすとは、犠牲にされるであろうコストにも注目し、バランスを考えて判断し、行動するということかも知れない。
年齢や状況によって、ベストを尽くすときと最善を尽くすときがあるだろう。ベストを尽くしたことがないと最善も尽くせないと思う。そして、そんなにいつもいつもベストや最善を尽くしてもいられないかも知れない。
ただ、何か新しいことに挑戦しようとしているとき、生活の環境が大きく変わるとき、これからどうしていいかわからなくなったときなど、自分はベストを尽くすのか、最善を尽くすのかを考えるのは、これから取るべき方法を決める一つの基準となるように思う。
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