四次元目の「時間」という次元
先日のブログで、四次元の世界について書いたが、四次元目の「時間」という次元について考えてみた。
一次元の世界が直線で、二次元が平面、三次元が立体ということを考えてみても、時間軸は過去から現在を通って未来に伸びる、直線のイメージがある。おそらく多くの人が、時間を直線的に捉えていると思う。例えば、過去を振り返る、と言うことばは、自分は、直線上の時間軸の現在という点に未来の方向を向いて立っている、と考えるからこそ出てくることばだと思う。遠くの未来、過去にさかのぼる、過去から未来へ、時間の流れ、などのことばも、時間を直線的に捉えたことばだと思う。
時間を直線で捉えるからこそ、寂しいことや苦しいこともあるだろう。例えば、子どもの頃の楽しい思い出を語るとき、もう二度とそこには戻れないということに加えて、その時がすごく遠いところにあると思うから、余計に寂しくなる。また、例えば、1年後の試験に向けて勉強している時、今から1年後までの距離が直線上で長いと思うからこそ、しんどくなることも多い。
時間を直線的に捉えなくてもいいのではないか、と思う。感情面で寂しいや苦しいと感じるということだけではなく、時間を直線的に捉えないほうが、わかり易いこともあるだろうし、新しい発見もあるかも知れない。
例えば、時間の中に身をおくということは、濃い霧の中に浮かんでいるようなものだと思う。時間は、直線を流れているのではなく、次の瞬間が後ろにあったり、過去がすぐ横にあったりする。実際の空間をイメージすると捉えにくいが、瞬間瞬間はばらばらに存在していて、次から次にあちこちに移動しているイメージだ。そして、子どもの頃がすぐ横にあったり、1年後がすぐ頭の上にあったりする。時間が経つというのは、直線をずっと一定方向に進んでいるのではなくて、いわば右左、上下などをうろうろとしている。連続していないとも言えるかもしれない。すっきりしないし、わかりにくいけれど、過去、未来、現在などのいろいろな時間が、混ざり合って自分の周りにアトランダムに存在すると考えると、楽しかった過去も、未来にあるゴールも、すぐそこにあるかもしれないと思えるし、今までの、そして、これからの自分の時間をもっと身近に感じることが出来るかも知れない。
例えば、過去にタイムスリップするというのは、時間的に長い距離を移動するのではなくて、ほんの少しだけ次に行く場所を間違えているのかもしれない。次の瞬間は真下にあるのに、何かの力が働いて右に移動してしまった結果、10年前に迷い込んでしまうというようなことなのだと思う。
専門家に言わせると、全く話にならない内容だろう。ただ、時間というものに押しつぶされそうになることもあるだろうし、時間に追い立てられる毎日を過ごしている人も多いだろう。そんな時、時間は連続していないし、過去も未来も、自分が考えるよりも身近にあるかもしれないと思うことで、楽になることもあるだろうし、新しいことに気づくきっかけにもなるのではないかと思う。
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