子供の頃は常にお腹をすかしていた

子供の頃は常にお腹をすかしていた。高度経済成長期で、たくさんのお菓子が巷に出始めていた頃だったが、いつもいつもお菓子が家にあるということはなかった。近くにスーパーマーケットや駄菓子屋もなくて、どこでお菓子が手にはいるのかもわからなかった。どちらかと言えばお菓子は特別なもので、たまにしか食べられないものだった。

4歳の娘を見ていて思うのは、お菓子が日常的に目の前に存在していることだ。お菓子があって当たり前、娘もそう思っているようだ。お菓子もそうだが、食事も不足なく必ず出てくることが当たり前だと思っている。だから、お腹が減って仕方がない、という時間が極端に短いように思う。お腹は減っているけれど、お菓子もないし食事の時間までまだ長い、という状況がほとんどない。

空腹を感じることは、悪いことではないと思う。そして、その空腹感を感じたままある程度の時間を過ごすことも悪いことではない。お腹が減って減って仕方が無いけれど食べるものがない、という状況では、我慢するか、自分で工夫して空腹感を紛らわすか、なんとか食べ物を調達するしかない。目の前に食べ物が常にあるということは、我慢もしなくていいし、工夫して気分を紛らわす必要もないし、考えて自分で調達する必要もない。

これは、食べ物に限らず全てに対して同じことがいえると思う。「もの」があふれていると、我慢もしないし、工夫して気分を紛らわすこともしないし、考えて自分で何とかすることもしない。また「もの」だけではなく、「知識」に対しても同じことが言えるだろうし、「人」に対しても同じだろう。

いろんなもの、ことに対して、空腹感を感じることができる環境も、たまには必要だろうと思う。

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