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テレビドラマや小説で、学校の教室で誰かの給食費が盗まれて、クラスメイトの一人に疑いがかけられる話がたまにある。

疑いがかけられた児童や生徒は、普段からあまり態度がよくなかったり、家が裕福でなかったり、いじめられていたり、何となく周囲の人達と違っていたりする。

そして周囲のほとんどの人があいつが盗ったのだ、と言い、「私は盗っていません」と本人が言う。そんな反応に、周囲の児童や生徒、そして先生までもが、「うそをつくな!お前が盗ったのに決まっている!」とさらに責める。

でも、ドラマや小説の中では、疑いをかけられた人が言うことを信じて、あいつがそう言うのなら盗ってないだろう、という人が出てくる。それは先生の一人だったり、クラスメイトの一人だったりする。

物語を最初から見ている視聴者や読者にしてみると、おそらくその人は盗っていないのだろう、と思う。そして、その人を信じる圧倒的少数派の先生やクラスメイトを支持したくなる。

その上、他の多数の人達はなんでその人が言うことを頭からうそだと否定して信じないのだろう、私ならきっと誰がなんと言おうと、盗ってないと言う人を頭ごなしに「うそをつくな!」などと言わないだろう、と思う。それが、視聴者や読者の心理だろう。

でも、本当に現実に同じ場面に遭遇したなら、「この人が盗ってないと言うのだから、私は信じる」とたった一人でも圧倒的多数の前で言えるだろうか?「やっぱりこいつが盗ったんだ」と周囲の人達と一緒に指を指すのではないだろうか。またそれほどまで積極的に関わらなくても、おそらく盗ってないだろうと思いながら黙りを決め込んでしまうのではないだろうか。

誰かの給食費が盗まれるシチュエーションに遭遇することはなほとんどないけれど、似たような場面は日常にあるだろう。誰かが「私はやってない」と主張していることを疑い、多数の側に立って一緒に指を指したり、何も言わなくても「きっとあいつは悪いことをしているのだ」などと何の根拠もなく考えたりすることも、実際にある。

ドラマや小説では、給食費はどこかに紛れていて何かの拍子に出てくることもあるし、誰かが意図的に隠していることもある。また、「あいつが盗ったんだ」と先導して言っている人が盗っていたりもする。まるでドラマみたいな展開だけれど、そんなことはひょっとしたら現実にもあるのかもしれない。

何の根拠もなく、ただ周りの人がみんなそう言っているというだけで、「あいつがやったんだ!」と騒ぎ立てていないか。そんなことに注意をすることも必要だろう。