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インターネットが普及する前は、日本で海外の情報を手に入れることは難しかったし、海外にいる人達とコミュニケーションをする機会もほとんどなかった。

でも今は、インターネットを使えば、世界中の最新の情報を手に入れることができるし、海外にいる人達ともリアルタイムでコミュニケーションをとることもできる。

と、言われている。

ほんとうだろうか?

確かに、海外から投稿されたYou Tube やInstagramを簡単に見ることができるし、検索の仕方によってはネットで日本以外の情報がたくさん出てくる。

でも、日本で生まれ育って日本で暮らしている多くの人は、インターネットを日本語だけで利用しているだろう。もちろん、英語をはじめ多言語で使っているひともいるだろうけれど、おそらく少数だ。

スマホでもタブレットでもパソコンでも、ずっと日本語でインターネットを使っている人は、検索するのも日本語だろうし、読む文章もきっと日本語だろう。また、You Tube も日本語の音声がほとんどだろうし、Instagram の写真は見られるけれど日本語以外のコメントは目を通さないだろう。

その上、LINEやツイッター、Facebook などのSNSも、多くの人は日本語の情報しか目に触れず、日本語でのやりとりしかしないだろう。

そうして、インターネットでの情報収集やコミュニケーションはどんどん増えていくけれど、ほとんどの人達は、情報もコミュニケーションも日本限定だ。

それは言い換えると、ネットでの情報やコミュニケーションが増えていけば行くほど閉じていき、「日本語としての境界線」が明確に浮き出てきて、境界線の外との乖離も明らかになってくるということだ。

簡単に言えば、日本語だけでネットを使っている限り、グローバルになるどころか、「日本ローカル」が明確になっていく。

それでいいではないか、とおっしゃる方もいるだろう。今は、そしてこれからも人によっては、それでもいいかもしれない。

でも、どんどん人口が減っていき、海外から日本にやってくる人達も増えてくる時代に、ネットの「日本ローカル」の中だけで生活していて、ふと目を上げると違う世界が広がっていた、ということにもなりかねない。

ネットは、個人の単位でもほんとうにグローバル化に役立っていると言えるのか。

そんなことを考えてみてもいいかもしれない。