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小学校1年生の頃、馬が欲しかった。学校から帰ってきたら馬に人参でもやって、顔をなでてやったりしたかった。休みの日は、近所を馬に乗って散歩して、友達にうらやましがられることを想像していた。

ある日、母親に思い切って打ち明けた。「僕、馬が飼いたい。」

今、親になってみてわかるが、子どもが親に何か欲しいと言ったときは、親はとりあえず困った顔をする。それは、経済的な理由もあるだろうし、教育的な理由もあるだろう。そのときも、母親は困った顔をしたと思う。でも、いつもの困った顔と少し違っていたかもしれない。一瞬、自分の子育てに疑問が湧いたような、自分の子どもがまっすぐに育っていることに疑いを挟むような、そんな困った顔だったように思う。

それからも、馬が欲しいという気持ちは収まることはなかった。しばらくして、もう一度母親に訊ねてみた。「僕、馬が欲しいんだけれど。」母親はこう答えた。「馬は飼えません。だって、近所で馬を飼っている人は一人もいないでしょう。」当時、都会に住んではいなかったが、大阪からの通勤圏内には暮らしていたので、周りに馬を飼っている人など一人もいなかった。でも、妙に母親のその説明に納得した。「なるほど、そういえば、馬を飼っている人はいないな。」しばらくは、どこかの裏庭に馬がいないだろうかと、そっと覗いてみたりしたけれど、どこにも馬を飼っている家はなかった。そしてだんだん馬を飼いたいという思いを忘れていった。

今、車で家を出て3分のところに、馬がいる。時には暖かい日差しの中を駆け回っているし、時にはじっと前を向いてたたずんでいるし、時には草を黙々と食べている。そして、その馬に乗って散歩している人もいる。

何年かして娘が小学生になって、「私、馬が飼いたい。」と言った時、「馬は飼えません。だって、近所で馬を飼っている人は一人もいないでしょう。」ということはできない。来るべきその日のために、何かうまい理由を考えておかなければならない。

それとも、思い切って馬を飼ってみるのもいいかもしれない。