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インターネットが普及して世の中に情報が溢れていると、以前よりも情報収集が簡単になったと感じる。

確かに、家にいながらにして、あるいは最近は外出していても、必要な情報が瞬時に手に入る。例えば、人気のあるレストランの場所、イベントの日程、宿泊施設の情報など、インターネットがなかったときはどうやって調べていたのか覚えていないほど、ほとんどの情報収集をインターネットに頼っている。

しかし、情報が多ければ多いほど、逆に情報が手に入らないと感じることも多い。

検索サイトで、あるキーワードで探してみると、数万件がヒットすることも珍しくない。そして、検索エンジンの上位に出てくる情報が全て自分にとって必要な情報だとは限らない。その上、最近は個人が発信する情報もたくさんあって、客観的な情報よりも明らかに主観的な情報に出会うことも多い。

また、新聞社のサイトやテレビ局のサイトなどのニュース情報も、これはインターネットには限らないが、ある出来事について全ての情報が客観的に掲載されているとは限らない。程度の差は大きいけれど個人のブログなどと同じく、何がしかのバイアスはかかっていると考えられるし、事実の全体ではなくてある部分のみ掲載していることもある。一方でアクセスできる情報量だけはどんどん増えていく。

そんな中で、自分が必要としている、正確で最新の情報を見つけることがだんだん難しくなってきているように思う。同じようなことはインターネットが普及する前から言われているが、結局、複数のソースの異なる情報を自分で集めて、それらから自分に必要な情報を自分で総合的に探し出すしか、自分が必要としている正確で最新の情報を見つける方法はないように思う。

これは、情報収集の範囲を超えて、すでに判断のレベルになっている。情報が溢れていればいるほど、必要な情報を収集するためには、単なる収集という作業だけではなくて判断という作業が必要となってくる。

今は歩きながらでも世界中のたくさんの情報に触れることができる。でも、ある瞬間に触れている情報はほとんどの場合たった一つだ。そのたった一つの情報が、自分が必要としている正確で最新の情報であることは、実はどんどん少なくなってきているように思う。けれど、目の前にあるインターネットの情報に触れてしまうと、どうしてもその情報の全てをそのまま受け入れてしまう傾向がある。情報を収集して判断するという、めんどくさくて厄介な、でも必要な作業を飛ばしてしまいがちだ。目の前に情報が届くまでの過程が簡単であればある程、その情報に対する受け入れ方も簡単になることが多いようにも思う。

結局、自分が必要としている正確で最新の情報を得るためには、自分が主体的に判断するということが重要になってくる。情報は誰かが与えてくれるものではなくて、自分で積極的に収集してそして自分なりに判断することが必要ということだ。その時には、「自分は」どう考えてどう判断するのかということがポイントになる。自分の周りにある膨大な情報量に対応できるだけの、「自分の考えと判断力」が求められるようになってきた。