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君子危うきに近寄らず、という言葉がある。君子は身を慎み守って危険を冒さずにこれを避ける、という意味だ。

君子は、高い身分の人、人格が立派な人、などの意味だが、君子危うきに近寄らずの君子は特定の人たちをさすのではなくて、危うきに近寄らないことが万人にとって賢明だ、という程度の意味なのだろうと思う。

では、危うき、というのはどんなことをいうのだろう。例えば、人気のない夜道なども「危うき」だろうし、武器を持って紛争を繰り返している集団も「危うき」だろう。また、台風が直撃している海岸も「危うき」だろうし、おなかをすかせた猛獣も「危うき」だろう。つまり、「危うき」は、時間や人や場所といった、外的なものを指している。だから、君子危うきに近寄らず、というのは、危うき時間や場所や人の中に身を置く前にそれを察知して、それらに近寄らない努力をすることが賢明である、という意味なのだと思う。

つまり、君子危うきに近寄らず、を実践しようとすれば、時間や人や場所といった外的な「危うき」ものが、いつなのか、誰なのか、そしてどこなのかを、そこに身を置く前に知ることが必要となる。「危うき」かどうかを確かめるために「危うき」時間や人や場所に近づくことは、すでに君子危うきに近寄らずに反した行動だ。

この場合のキーワードは、「事前に」危うきかどうかを知る、ということだろう。「事前に」知ることができなければ、「危うき」に近寄らないということはできない。

では、「事前に」危うき時間や人や場所を察知するにはどうすればいいのだろうか。誰かが、この時間は、これらの人たちは、あの場所は、「危うき」ものですよ、と教えてくれるのが最も簡単だ。でもそれでは、君子危うきに近寄らず、ではなく、君子危うきと教えられたものに近寄らず、になって、君子でも何でもなくなってしまう。どちらかと言えば、教えてくれた人が君子だろう。

「事前に」危うき時間や人や場所を「自分で」察知するためには、やはり経験が必要だと思う。矛盾するようだが、「事前に」危うき時間や人や場所を「自分で」察知するためには、危うき時間や人や場所を何度か経験して、こういう時間、こういう人たち、こういう場所は「危うき」かもしれない、と判断できる能力を身につけることが必要だろう。

だから、君子危うきに近寄らず、を実践するためには、「危うき」に近寄る経験を何度かして、何が自分にとって「危うき」かを知り、そしてそれらの「危うき」を事前に察知する能力を身につけることが大切だ。そして、「危うき」が、外的な時間や人や場所であるならば、外に出て、いろんな時間やいろんな人やいろんな場所に身を置くことが大切だ。そうすることによって、事前に「危うき」ものを自分で察知する能力が身につくのだと思う。そしてそうやって人は賢明になっていくのだろう。