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毎日毎日、学校に行ったり、仕事をしたり、家事をしたりしていると、たまに必ず何か問題が起きる。例えば、大切なテストに遅刻したり、お得意様から激しいクレームがきたり、絶対に掃除しなければならない日に掃除機が壊れたりする。どうしようか、と思う。どうにもならないかも知れない、と思う。予定が全く狂ってしまう。自分一人の力ではどうしようもできない。どう考えて何を選べばよいのかわからない。自分が世の中で最も不幸な人間のように感じる。問題というのは、そういうものだと思う。

中学生のとき、バレーボール部に入っていた。当時は男子バレーもかなり人気があり、日本代表チームも強くて、テレビでもよく試合を中継していた。私が通っていた中学校の男子バレーボール部は、いくつかの市を集めた地域ではいつも1位か2位で、都道府県では8位まで勝ち進んだことがある、そこそこ強いチームだった。顧問の先生は体育大学を出た30代前半の男の先生で、生活指導も担当していた。当時はその先生に名前を呼ばれるだけで緊張するくらい、怖い存在だった。

そしてクラブの先輩も先生に劣らず怖かった。今から考えるとたかだか中学2年生や3年生なのだけれど、1つ年上というだけで先輩の言うことは絶対に従わなければならなかった。そして練習の中でも最もきつかったのが、十本タッチ、と当時呼ばれていた練習だった。バレーコートの半分を使って、先輩が投げたボールが床に着く前に手で10回触ると終了。でも中学3年生の先輩は、コートの外に投げたと思うと先輩のすぐ前に落としたり、どんな俊敏な人間でも絶対に触れない所にボールを投げる。絶対に届かないとわかっているボールでも必ずそこまで行ってスライディングをしなければならないので、体力的に本当にきつい。そして、まだ中学3年生の先輩は全く加減というものを知らないので、ふらふらになって倒れそうな時でも、数メートル向こうまで何度も走らされた。

コートに入ってボールを触りに行くのは、体力的にもきついが精神的にもきつい。もう永遠に終わらないのではないか、と思う。後2本、後1本がなかなか触らせてもらえない。でも終わろうと思ったらボールに触らなければならない。自分の足で走って、自分の手でボールに触らなければならない。

そんな時、ふらふらになりながら、「このしんどさも必ず終わる」と考えていた。十本タッチの練習を1人で2時間も3時間もやっている人はいないことはわかっていたし、練習時間が終われば必ず自分の練習も終わりが来ることも知っていた。だから、その時にいくらしんどくても、最後の1本がなかなかボールに触れなくても、必ずこのつらい時間が終わるときが来ると考えていた。「今はしんどくても、このしんどい時間も必ず終わるときが来る。」と思いながらふらふらになってボールを追っていた。

それから30年ほど経った今でも、何か問題が起こったときは、中学のバレー部のその練習を思い出す。問題に直面して、どうしようか、どうにもならないかも知れない、自分一人の力ではどうしようもできない、と感じた時、今はしんどくても、このしんどい時間も必ず終わるときが来る、と思って、中学生のときに1本ずつボールに触っていったように、一つずつ自分の手と足でできることをやって行くことにしている。そうすれば、必ずいつか問題が解決するときが来ることを信じて。