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先日久しぶりに映画ターミネーターの一作目を見ていたら、警察署の中で警察官がずっとたばこの煙をモクモクとふかしていた。

1984年の映画だそうだが、当時は米国でもそんな風景が当たり前だったのだろう。それを考えると、この30年ほどで大きく変わった。たばこに対する人々の意識や社会のルールが30年前とかなり変化したのだろう。

同じ時期の1985年の映画に、バック・トゥー・ザ・フューチャーがあるけれど、今見たら時代の違いを感じて、そういえば1985年当時はこんな感じだったなぁと思う。そしてこの映画の中で1955年の米国が出てくるけれど、当時を知っている人はきっと、1955年はこんな感じだったぁと思うのだろう。

30年も経てば社会は大きく変わるし、それはぱっと見ただけでもわかる変化だ。

でも、バック・トゥー・ザ・フューチャーを見終わった11歳の私の娘は、「映画に出てきた1985年と1955年の違いがよくわからなかった」と言った。タブレットでYouTube を見ている世代からすると、1985年も1955年も同じ「昔」に見えるのだろう。1985年を知っている我々からすると、車の形も服装も音楽も雰囲気も全く違うのに、と思うのだけれど、どちらの時代も知らない子どもからすると、違いはほとんどないのかもしれない。

少し考えてみると、平成の時代を生きている私達が、例えば1885年と1915年の映像や写真を見てその違いに驚くだろうか。そもそもどちらの映像や写真がどちらの時代のものなのかもわからないかもしれない。ちなみに1885年は明治18年で1915年は大正4年だ。

そんなことを言えば、1755年と1785年の映像(がもしあれば)を見て、その違いに驚くことはないだろうし、違いがわかる人もほとんどいないだろう。1755年は宝暦5年で9代将軍家重、1785年は天明5年で10代将軍家治の最後の年だそうだ。そう言われてもピンとこない。

時代の変化というのはきっと、その時代に生きている人が肌で感じるものなのだろう。

30年後の2047年は、今の小中学生はどんな時代の変化を肌で感じているのだろうか。人工知能のスカイネットが指揮する機械軍の反乱で、人類が滅亡していなければいいのだけれど。