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昨日の日本の新聞のオンライン版に、「12点差も諦めず、延長に持ち込みサヨナラ勝ち」という記事が掲載されていた。

「夏の高校野球静岡県大会は17日、2回戦の残り16試合が行われ、今春4強の磐田東は、一時12点差を追う苦しい展開から巻き返し、延長十一回の激闘の末、静岡大成にサヨナラ勝ちした。」ということだ。

磐田東高校の野球部員は、3回に10点を奪われて12点差になったけれど、最後まであきらめずに9回で同点に追いつき、最後にはサヨナラ勝ちを収めたという内容だ。

これを読んで「何事も最後まであきらめずにやれば、いい結果が出る」と考えることもできるだろう。

ただ、12点差をひっくり返して勝つというのは「誰もができるものではない」という少し違う視点から考えてみると、現実は逆に「多くの人は、3回で12点差がついてしまうとあきらめてしまって、それ故に勝つことができない」ということだ。野球で残り6回で12点差がついていたら、ほとんどの人はもう勝てないだろうと考える。

言い換えると、3回で12点差があるにもかかわらずあきらめずに最後には勝ってしまうというのは、多くの人達とは違う考え方や違う感じ方を個々人があるいはチームとして持っていたと言える。

だからこの記事は、「多くの人が考えることや感じることと違うことを考え感じた人達は、多くの人達と異なる結果を出す」ことがわかる記事だ、とも言える。

多くの人があきらめる状況の時にあきらめない少数派になる、多くの人が勝てると思わない時に勝つと思う少数派になる。そして少数派だからこそ多くの人が成し得ないことができる。そういう出来事だ。

だから、勝負で大負けしている時だけではなく、あらゆる状況で、多くの人が考えないことや感じないことを考えて感じる人になれば、付け加えるならそれを実行できる力を持っているなら、多くの人ができないことができるのだろう。

あきらめないこともとても大切だけれど、人と違うことを考え感じ、そして実行することも大切だということがわかる出来事だと思う。

Yomiuri Online
「12点差も諦めず、延長に持ち込みサヨナラ勝ち」