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日本語を母語としている人が英語を勉強したり、英語を母語としている人が中国語を勉強したりする時、「言葉って一体何なのだろう」と感じることもあると思う。

日本語で「犬」という単語を英語では「Dog」という、くらいはあまり多くの疑問を感じないかもしれないけれど、日本語で、「私は犬が好きだ」も「彼は犬が好きだ」も動詞の「好きだ」は同じ形だし「犬」も単数複数関係ないのに対して、I like dogs. とHe likes dogs. では、動詞の形が違うし、どちらも一般的にはdogs と複数形になるのは、よくわからなかったりする。

それは第二言語の「単語」や「文法」がわからないことが原因だ。

英語を勉強し始めた人が、新聞の社説や博士論文を読んだら、単に記号が並んでいるように見えるだろう。それは、アラビア語を勉強したことがない人がアラビア語新聞を読む時と同じだ。何が書いてあるか以前に、どこまでがどの文字であるかさえもわからない。

でも例えば、英語を自由に使いこなせる人が感動的な小説を英語で読んだらものすごく感動するだろうし、アラビア語でも日本語でもそれは同じだ。でも三者の小説を入れ替えて、英語を自由に使いこなせる人に日本語を、アラビア語の人に英語を、日本語の人にアラビア語の感動的な小説を渡しても、全く感動しない。

英語も日本語もアラビア語も、あらゆる言語の文字は、記号に過ぎない。その記号の意味(=単語)や使い方の法則(=文法)を知っている人が内容を理解できて、そして感動したりする。

つまり、人間は単なる記号を読むだけで感動できるということだ。もっと言えば、単なる記号に過ぎないそれぞれの言語の後ろには、それぞれの内容があり、意味があり、それらを理解することで、感動したりすることができる。

だから、例えば英語を勉強するということは、記号の意味(単語)と法則(文法)を理解して、その記号の後ろにある内容を考える作業だということになる。

そうであるならば、やることは簡単だ。まずはアルファベットなどの文字を覚え、単語を覚え、文法を覚えて、文章を理解できるようになる、という段階を少しずつ踏んでいき、もし内容が理解できなかったり、他の人が感動しているのに感動できなかったりしたら、単語か文法か文章か、どのレベルの理解が足りないのかを検証して、そこをもう一度勉強する。

言葉は基本的には記号に過ぎないのだから、その記号とそれが則っている法則を理解することで、意味や内容がわかるようになって、感動もするのだ。