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1ヶ月くらい前の日本の新聞のオンライン版に、「物質を構成する素粒子の一つ、ニュートリノが光よりも速く飛んだことを示す実験結果が得られた」という内容の記事が掲載されていた。この結果がもし正しければ、光より速い物体はないとするアインシュタインの相対性理論と矛盾する、らしい。そして面白いのは、「もし本当なら、タイムマシンで過去へ戻ることが可能になる」という専門家もいるということだ。

ニュートリノと言われても何のことだかさっぱりわからないし、アインシュタインと言えば舌をペロッと出している写真しか思い浮かばない、知識も教養のかけらもない私としては、この理屈は全く理解できないが、タイムマシンで過去へ戻ることが可能になる、という専門家の言葉は少し気になる。

タイムマシンというものは昔からSF映画などによく出てきて、私も子どもの頃は、いつかタイムマシンに乗って過去や未来に旅行ができるようになる、と漠然と思っていた。そして、タイムマシンに乗って未来や過去に行ったら、こんなことができるだろうとかいろいろと想像して楽しんでいた。

大人になって歳をとり、人生の未来よりも過去のほうが長くなってくると、どうしても過去を振り返ってしまう。そして、あの時こうすればよかったとか、過去に戻って違う選択をしてみたいとか、思うのだ。そんな時本当にタイムマシンがあれば、過去に行ってそこから新しい未来を創造できる。タイムマシンは、時間旅行という夢とともに、人生のやり直しの可能性という大きな魅力を持っている。

でももし今、目の前にタイムマシンがあって、それを自由に使って過去に行くことができるとしても、私はタイムマシンをあえて使わないと思う。

確かに、人生を過去からやり直すことができるのはとても魅力的だし、自分の人生にもう一つの選択肢があってそれを選択する人生を生きることができるのは、楽しいかもしれない。でもよく考えてみると、自由に過去に戻ることがいつでもできる装置を手に入れたら、人生の意味そのものが全く変わってしまう。

時間はさかのぼれないからこそ時間なのであって、そこに後悔や反省が生まれ、失敗を糧にした成長があり、未来や今を見つめて生きる姿勢を持つことができる。それが人生の醍醐味であり、生きる意味だと思う。もしタイムマシンでいつでも過去に戻って異なる選択肢を選ぶことができるなら、そう思いながら生きているとすれば、今日の生活、今日の人生に対する態度は、ものすごく変わってしまうだろう。

今日という日は今日しかなくて、今の選択はもう元に戻すことができなくて、今日の行動が未来にどういった影響を与えるのかは、未来になってみないとわからないし、それがわかる未来から過去に影響を与えることはできない。そういう絶対的な事実があるからこそ、今日一日の時間を大切に生きようと思うし、よく考えて選択をしようと思うし、将来の夢を描くことができるし、後悔して反省したことをまた未来に生かすことができるのだ。だから人生は面白い。

ニュートリノが光より速くても、将来タイムマシンが使えるようになっても、私は過去には戻らない。