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先日あるブログの面白い記事を見つけた。

元は「独学のすすめ」というちくま文庫の本からの出典だそうだが、小学校で次のような質問をして、どんな反応があるかを観察したそうだ。

「教室から、生徒が8人出て行きました。そのあと、12人の生徒が教室に入りました。教室には何人の生徒が残っているでしょう?」

この質問を目の前にして「こんなのわかるわけがない!なぜなら・・・」と正解がない問題であるこをと指摘して、その理由を考える方もいるだろう。また、「全くどう考えていいのかわからない」と思って立ち止まってしまう方もいるだろう。

そのブログによると、「教室に8人とか、12人とかが出入りするような時間だから、早朝や放課後ではないはずだ」とか「一気に多人数が移動しているので、休み時間、しかもトイレ休憩のような時間帯だ」とか「12人というのは、休み時間が終わって戻ってきた人たちだろう。回答は一クラスの人数である30名程度ではないか。」などと違う側面から問題を解こうとした児童もいたようだ。

この問題はもちろん、最初に教室に何人いたのかという情報がないので、小学校の算数として一つの正解を導き出すことはできない。でも、「正解が必ず一つある算数の問題」として取り組むのではなく、自分でいろんなことを考えながら解いていくのも、「問題を考えて答えを探す」ことになる、とそのブログでは指摘している。

私も含めて日本の学校教育を受けてきた人は、問題が出されたら「必ず正解が一つだけ存在する」と無意識に考えてしまいがちだ。特に算数のように見える問題に対してはそうだ。まさか正解がなかったり、答えが複数あったりするなどということは、考えもしない。もしそんな問題があれば、「問題が間違っている」と考えてしまう。

でも、学校から離れると、「必ず正解が一つだけ存在する問題」などめったにない。そんなとき、「問題が間違っている」と憤っていても前に進まない。どんな問題が目の前にあっても、それを自分で解決していかなくてはならない。また、問題自体を自分で考えなければならないことも、多々ある。

「与えられた一つの問題に一つの正解」という実際の世の中にはほとんどないことを前提に、その問題を解くスキルを伸ばしていくよりも、正解などない問題に柔軟に取り組む姿勢や、問題そのものを作っていく能力を身に付けることが、これからの時代には必要なのだと思う。