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私もそうだけれど、ほとんどの人が、今日と同じ明日が必ず来ると確信して生きている。

明日も今日と同じ部屋で起きて、同じ人と朝食を取り、同じように会社や学校に行って、同じ人達と会い、同じように自分の時間を過ごして、同じように寝る。そんな明日が来ることを全く疑いもせずに今日を過ごしている。

でも、今日と同じ明日が来ることが100%保証されてないことは、4年前の3月11日や20年前の3月20日のことなどを思い出しても容易にわかる。

試しに、今日と同じ明日は来ないと思ってしばらく過ごしてみると、人生観が大きく変わるし、今日の行動も全く変わると思う。

例えば今日、医者から余命1年ですと言われたらどうだろうか。今日やろうとしていたこと、明日からやる予定だったこと、自分の人生や周囲の人達についての考え方などが、全く変わるだろう。

来年の春休みに行こうと思っていた家族旅行は来週にするだろうし、お金が貯まったら買おうと思っていたものを明日買いに行くかもしれない。上司や先輩が残業しているからという理由で遅くまで会社で仕事をしていたのを止めて、早く帰って家族との時間を過ごすだろうし、会いたくない人と会う時間を削り、本当に会いたい人に時間を作って会いに行くだろう。残された時間、誰に会い、何をし、何を考え、何を持ち、何を捨てるのか。そんなことを真剣に考えて、そしてすぐに実行するだろう。

「そんな非現実的なことを前提に、いろんなことを真剣には考えられない」とおっしゃる方もいるかもしれない。でも、今日と同じ明日が来ることが100%保証されていないのなら、全く現実的ではないと言い切れない。どちらかと言えば、今日と同じ明日が来ると確信していることのほうが非現実的なのかもしれない。

確かに、毎日毎日ずっとそんな視点だけで生きていると、長期的な判断を間違うこともあるだろうから、別の視点も必要だ。でも、たまには、「今日と同じ明日は来ないかもしれない」ということを本気で考えてみて、その結果何をするようになり、何をしなくなり、何を新たに得て、何を捨てるのか、をじっくりと考えてみるのも無駄ではないだろう。そうすることで、今自分に本当に必要なものと不要なものは何なのか、本当にやらなければならないこととそうでないことは何なのか、などが鮮明になるかもしれない。