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日本の小学生や中学生の女子の中には、自分のことを自分の名前で呼ぶ人がいる。

「○○は、これがほしい」とか「△△は、それをやりたい」などと言う。人によっては、高校生や大学生の年齢になっても、自分のことを名前で呼ぶ女性もいるようだ。また、幼い女の子の中には、自分の名前の後ろに「ちゃん」を付けて、○○ちゃん、△△ちゃんと自分のことを呼ぶ人もいる。

でも、ニュージーランドの女子は、小学生でも幼稚園児でも、自分のことは必ず「I(アイ)」と言う。「キャサリンは、これがほしい」とか「ジョージアは、それをやりたい」などという、キャサリンやジョージアを見たことがない。

この違いはどこから来るのだろうか。専門家の人達はすでにその答えがわかっているのかもしれないけれど、素人の私が考えるには、視点の違いと自己主張の強さの違いではないかと思う。

日本の女子が自分のことを自分の名前で呼ぶ時、もちろん自分のことを表現しているのだけれど、そこには自分を客観的に外側から見る「他人の視点」が少し含まれているように思う。だから、自分のことを自分の名前で呼ぶ時は、だれか他の人に話しかけている状況で、独り言で自分のことを自分の名前で呼びはしないだろう。言い換えれば、「あなたにとって○○という名前の私は、」という意味で主語を使う。

それに対して、ニュージーランドの女子が自分のことをアイと言う場合、そこには「他人の視点」が全く含まれていない。アイはアイ、自分自身であって、他人が自分のことをどう呼んでいるかなど関係なく、自分の視点からだけで主語を発している。

もう一つは、誰かに自分のことを伝える場合、日本の女子は、「あなたはどう感じるでしょうか」というニュアンスが強く入るように思う。「○○は、これがほしいのですけれど、あなたはそれでいいでしょうか」、「△△は、それをやりたいのですが、あなたはそれでもかまいませんか」という、相手に尋ねる意味合いが含まれている。そこには、「自分がどうしても」という強い意志よりも、「相手がどう反応するか」というある種の気遣いがある。その気遣いを伝えるには、「私は」と自分を強調するのではなく、第三者的に「○○は」と名前を使うほうが適切に伝わるのだろう。

一方、ニュージーランドの女子がアイと言うときには、自分がそうしたい、そう思う、という強い気持ちがあり、それを相手に伝えようとしている。そして、そうしたい、そう思うのは他でもない「私」なのです、という主張もそこに入っている。

どちらがいいか悪いかという問題ではなく、元々の文化の違い、言葉の成り立ちの違い、そして社会で求められているものの違いなどが、自分を言葉でどう表現するかという部分にも、影響しているように思う。