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先日、庭でカンカンと音がするのでなんだろうと思って覗いてみた。体長15センチほどのくちばしの長い薄茶色の鳥が、何かをくわえて石にたたきつけていた。

よく見ると、カタツムリの殻をカンカンと、盛んに頭を動かしながら石にたたきつけている。おそらく、どこかで捕まえたカタツムリを食べるために殻を割っていたのだろう。しばらくして庭に出てみると、細かく砕けたカタツムリの殻が石の周りにたくさん落ちていた。

庭にはたくさんの鳥が来るのだが、その中には何かをくわえているものも多い。空から舞い降りてきていきなり庭の土の中に頭を突っ込んでミミズらしきものをくわえて飛び立つ鳥もいる。また先ほどのように、カタツムリの殻をくわえている鳥もいる。

カタツムリやミミズをそのまま食べてお腹をこわしたりしないのだろうか、と思うが、それは人間の視点であって、鳥にとっては普段の食事なのだろうし、野生の鳥達は、それを食べないと生きていけないのだろう。

昔学校で食物連鎖を習ったが、ニュージーランドの野生の鳥やミミズやカタツムリは、その生態系の中で食べたり食べられたりしながら、今この瞬間も生きているのだ。

でも考えてみると、人間だけがその食物連鎖の鎖の外にいるのではない。我々人間も、魚や肉を食べて生きている。自分で魚を捕まえて食べたり、飼っている牛や豚や羊が食卓に上ったりすることは、特に日本ではほとんどないので、生きていたものを食べている、という感覚はかなり薄い。私たちの感覚としては、食べているものは寿司や刺身であり、ビーフステーキやとんかつであって、海を泳いでいた魚や牧草を食べていた牛や、昼寝をしていた豚では決してない。

でも実際は、刺身は魚を生で食べているのであり、ビーフステーキやとんかつは牛や豚の体の一部であるのだ。生きていたものを食べる、という意味では、カタツムリやミミズを食べている野生の鳥と同じだろう。私たち人間も、生きていた動物の命をもらって生きている、ということだ。

日本では食事の前に「いただきます」と言う。これは、生きていたものに感謝をして大切にいただきます、という意味でもあるのだろう。