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他人の批判はしないようにしている。たとえ誰かが私のことをどこかで悪く言っていることがわかったとしても、その人を悪く言い返すこともしないし、私から誰かを批判することもしないようにしている。

ただ絶対にないのかと問われると、家でお酒を飲んでちょっと愚痴るくらいはあるし、何か大切なものを守らなければならないときに仕方なく行うこともあるかもしれないけれど、普段はかなり意識して他人の批判はしないようにしている。

だから、誰かのことを批判している人を見ると、批判されている人よりも批判をしている人のほうに興味を持つ。なぜこの人は他人をそんなにも批判するのだろう、なぜこんなところでこのタイミングで、そんな批判をするのだろう、と思う。

以前にもこのブログで書いたかもしれないけれど、言葉というのは思っている以上にパワーを持っている。ある言葉を発した瞬間、意図した以上の力を持って、それを聞いたり読んだりした人に作用する。そして、その言葉を聞いたり読んだりした人の中には、当然、言葉を発した本人も含まれる。

だから、あいつはだめだとか、嫌いだとか、どうしようもないとか、バカだとかあほだとか、こんなところが悪いとか、他人を批判するネガティブな言葉を発した人自身も、その言葉が持つネガティブな力を受けている。

日本にいたころに、いつも他人の批判をしている人がいた。それを面白おかしく話すものだから、周りにいた人の間にも笑いが起こるので、その人はさらに気をよくして批判を続けていた。でも、周りの人が笑っていたのは、決してその批判に同意してたわけではなかったし、「あいつの話は楽しくない」と言われていた。

最近はネット上でも他人の批判を簡単にする人を見かけるけれど、それを見るたびに、なぜこの人は他人をそんなにも批判するのだろう、と思う。確かに、誰かを批判したくなることはあるけれど、その気持ちをネット上で発信するまでには、ためらいや抵抗もあると思う。でもそれを実際に発信してしまうのはなぜなのだろう、と考えてしまう。

発信している人は、何の抵抗も考えもなくしているのかもしれないし、大きな悪意を持って発信しているのかもしれない。特にネット上では、匿名で他人の批判を発信できるので、感情を抱いてから発信するまでのためらいや抵抗が、リアルな世界よりも少ないのかもしれない。

でも、よく言われることだが、他人を批判するのは天に向かってつばをするようなもので、必ず自分に返ってくる。それは、周囲の人がいい気持ちにならないという意味もあるだろうが、それよりも、自分で発したネガティブな言葉のパワーに、自分自身が傷つけられてしまう、という意味が大きい。

他人を批判したくなるのは仕方がないけれど、それを言葉にする前に、かなり慎重に考えなくてはならないと思う。