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ニュージーランドで学校に行って、英語を話す人と一緒に暮らすと、ずーっと英語を聞いているという環境に身を置くことができる。

最初の3ヶ月間ほどは、周りの人が言っていることが全くわからないし、何を聞かれても「Yes!」と中途半端な笑顔で答えることしかできないし、ポツンと一人取り残されたような気分になることも多い。でも、ずっと英語の環境で暮らして3ヶ月ほど経つと、ところどころ聞き取れるようになってくるし、Yes 以外の言葉も口から出てくるようになる。

でもその段階ではまだ、英語で話しかけられたことを、一旦頭の中で日本語に直して理解していると感じる。さすがに、How are you? 程度なら英語を英語として理解できるが、少し長い文で話されると、聞き取れた単語をつなぎ合わせて、なおかつそれを日本語に直して初めて、なんとなく理解できる。

それがまたさらに3ヶ月ほど経つと、英語で言われたセンテンスを英語のまま理解できるようになってくる。もちろん、時間のかかり方は個人差があるし、どの程度英語漬けの生活をしているかにもよるけれど、ずっと英語の環境で暮らしているとほとんど誰でも、「あっ、今私は、英語を英語で理解できている」と感じる瞬間が必ず訪れる。

それを、「英語脳ができた」と説明する人もいる。脳の中には日本語を理解する部分があって、最初の3ヶ月くらいは、耳から入ってきた英語を日本語を理解する部分に送って、そこで日本語に直して処理をしていたのだけれど、脳の中に新たに英語を理解する部分ができて、英語を直接そこで処理して理解できるようになったのだ、という説明だ。

この説明は非常にわかりやすいので、私も英語脳の部分ができると考えていた。けれど、最近はどうも違うように感じる。

確かに、英語でコミュニケーションをとっているときと、日本語のときとでは、声の高さや話し方も変るし、英語で話をした後は日本語の単語がなかなか出てこないこともあるので、脳の違う部分を使っているようにも思う。でも、例えば、もともと子どもの頃から使っていた関西弁で話すときと、標準語に近い言葉で話すときとでも、声の出し方が少し変るように思うし、標準語で話をした後に関西弁のイントネーションが少し違っていたりもするのは、脳に関西弁脳があるというわけではないだろう。

関西弁と標準語の違いと、英語と日本語の違いは、全く違うよ、とおっしゃる方もいるかもしれない。でも、例えば、幼い頃から日本語と英語の両方を使って会話をしているような人は、日本語と英語の切り替えを、まさに、関西弁と標準語を切り替えるように使い分けるように思う。だから、そんな人は、脳の中に英語脳の部分と日本語脳の部分が分かれて存在するのではなくて、言語全体をつかさどる脳の部分の「レイヤー」が異なるだけなのだと思う。しかも、バイリンガルやトリリンガルの人は、そのレイヤーの順序を自由に入れ替えることができるように思う。

言葉を使ってコミュニケーションを取るときには脳の同じ部分を使うのだけれど、英語を話すときには英語のレイヤーが一番上に来ているが、日本語を話すときには日本語のレイヤーを一番上に持ってくることもできる、というように、無意識に、あるいは意識的に言語のレイヤーの順序を入れ替えている。

英語を英語として理解するために、英語脳という部分を作るという未知の難しい作業をするのではなく、単にレイヤーを一つ増やしてやるだけだ、と考えると、英語の習得もそれほど大したものではない、と思えるかもしれない。