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先日ロトルアで、グーグルのストリートビューを撮影するカメラカーらしき車を見た。

小型の車の屋根の上に青い球体のカメラのようなものを乗せて走っていたので、おそらくストリートビューを撮影していたのだろうと思う。後でグーグルで「グーグル カメラカー」で検索してみたら、同じような写真が出てきたので、おそらくそうだったのだろう。

車を見た瞬間に考えたのは、「うちの家の前はきれいになっていただろうか」ということだった。でも後から考えると、それは、自分の家の前をグーグルが勝手に撮影して世界中に公開することを認めていることだ。

ストリートビューはとても便利なサービスだ。行ったことがないところに初めて行くときなど、事前にその周囲の景色が見られるので、後で実際に車で走るときでもおおよそのイメージがつかめる。また、ホームステイ先が決まった留学生が日本からストリートビューでステイ先を見る、などということもあるかもしれない。

でも、なぜ自分の家の前を勝手に写真に撮られて世界中に公開されることが認められているのか、わからない。おそらく法的にはクリアされている行為なのだろうが、逆にたくさんの苦情も出ているのだろうとも思う。

でも、グーグルのカメラカーを見た瞬間にうちの家の前のことを考えるということは、私自身の中では、グーグルの行為を認めているということだ。もし、グーグルではない知らない誰かが車の窓から身を乗り出して手にビデオカメラを持って近所を撮影していたら、「もしもし、何を撮影しているのですか」とか「うちの前を撮影するのは止めてください」というだろう。でも、それがグーグルのカメラカー(だと思われるもの)だと、「うちの家の前はきれいになっていただろうか」と考えてしまう。

グーグルだから、ストリートビューだから、認めていいのだろうか。「撮影されるのが嫌ならストリートビューも使うべきではない」とおっしゃる方もいるだろう。確かに、それも一つの態度の示し方なのかもしれない。でもストリートビューを使うことを止めたから自分の家の前を撮影しないでほしいと言っても、グーグルは、はいそうですか、と聞いてはくれないだろう。私が使わなくても、私の家の前はストリートビューに公開される。

私も、カメラカーを実際に見るまでは、ストリートビューに対して大きな違和感はそれほどは感じてなかった。でも実際に「カメラを回して撮影しています」という行為を目の前で見ると、自分のテリトリーに他人が許可なく入り込んでくる不安と恐怖のようなものを少しだけ感じた。

この不安と恐怖の感覚が自分の中からなくなってしまうことも怖い。自分の家の前を撮影する一私企業の車が世界中を走行し、写された写真が全世界に公開される。これが当たり前にの世の中と、それに対して何もできない私たち。

便利を求める世の中は、どこに向かって進んでいるのだろうか。