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日本の混んでいる電車の中で、若い男性が足を広げて座っていたり、優先座席に若い女性が座っていたり、小学生が漫画を読みながら座っていたりすると、「座っていないでお年寄りなどに席を譲れ!」と多くの人が思うだろう。私もそう思う。

でも私は同時に「ひょっとしたら。。。」とも考えるようにしている。「ひょっとしたらこの若い男性は、足に怪我をしているのかもしれない。」「ひょっとしたらこの若い女性は、妊娠しているのかもしれない。」「ひょっとしたらこの小学生は、普段は立っているのだが、今日は誕生日か何か特別な日で、座ってもいいよと親と約束しているのかもしれない。」などと考える。

「ひょっとしたら」なので、おそらくそんな可能性は実際には少ないだろう。男性は至極元気なのだろうし、女性も立っていられる状態なのだろうし、小学生はただ座って漫画が読みたいだけなのだろう。おそらくそうに違いない。でも、私は、「ひょっとしたら、何か事情があって座っているのかもしれない。」とも同時に考えるようにしている。もしかしたら、私が考えているような理由ではないのかもしれないが、その人たちにとっては座らざるを得ない事情があるのかもしれない、と考える。

昨日のブログでも書いたけれど、海外で暮らしていると、想像力を働かせて、周囲の人を理解しようとすることが必要だ。なぜなら、自分と周囲の人たちは、一人ひとりが異なっているからだ。それと同じように、日本でも、想像力を働かせて、周囲の人を理解しようとしてもいいのではないか、と思う。

人は一人ひとり違う。日本で暮らす人も海外で暮らす人も、実は同じように違う。だから、「若い男性なのだから元気に違いない」とか「お腹が大きくないので妊娠しているなど想像もつかない」とか「漫画を読んでいる小学生はきっといつもそうしているのだ」とか、100%頭から決め付けないで、「ひょっとしたら何か事情があるのではないか」と1%の可能性に想像力を働かせてもいいと思うのだ。

そうすることによって、例えば若い男性に「お年寄りに席を譲れ!」と注意をするときにでも、言い方や物腰が少し変わるかもしれない。そしてほんの少しの想像力、人は一人ひとり異なるし一人ひとりの事情がある、という想像力を伴ったコミュニケーションによって、結果的にいろんなことがスムーズに行くようにも思うのだ。